2015年5月15日クリシュナムルティ〜平和への叡智「平和」とは、現代世界における戦争と紛争に関わる政治的・社会的な課題であり、地球と人類の在り方・生き方に関わる魂的・霊的な課題でもある。また、そのように捉えなければ、「平和」の真の姿は見えてこない。 昨今の国政や世情の動きの多くは、こうした政治的・社会的な課題としての...
2015年5月11日GAIA SYMPHONY No.8〜“3.11” からの深い呼び声1992年に発表されたNo.1に始まる龍村仁監督の『GAIA SYMPHONY(地球交響曲)』は、そのNo.8が今年(2015年)2月に完成した。これで、No,1からNo.8までの8つの連続する映画作品として、宇宙・自然・生命の「霊性」と「結び」について、ここ10数年にわた...
2015年3月14日ジョン・コルトレーン〜その魂との同伴18~19歳の若かりし頃、jazz喫茶で毎晩のように浸りきっていたジョン・コルトレーン(John Coltrane、1926.9-1967.7)。当時、LPとして聴くことのできた彼の演奏は、jazzの歴史を学ぶようにしてほとんど聴いたと思う。 ...
2015年2月24日ルドルフ・シュタイナー〜思想としての伝授の門私にとって、30歳前後のルドルフ・シュタイナーが著した『自由の哲学(Die Philosophie der Freiheit)』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)は・・デカルト的な物心二元論やカント的な物自体におけるアポリア、あるいは、空想的唯心論や機械的唯物論が...
2015年2月22日ルドルフ・シュタイナー〜霊性への導きの師ある特定の「書物」に記された言葉との出会いに、超感覚的でありながらも確信的なイメージとして、ある種の叡智(ソフィア)との運命的な邂逅を体験する。そうした体験は今までの人生の節目で確実に幾度か起きており、具体的な生き方として私の思想や感覚に飛躍的な地殻変動をもたらしている。 ...
2015年2月18日シューベルト〜深淵を奏でる後期ピアノソナタクラッシック音楽のいわゆる古典的・典型的なシンフォニーを聴くと、多くの場合、予想通りに流れる曲調と決まりきった身振りを目の当たりにして、そのマンネリズムとセンチメンタリズムによる徒労感で一杯になる。 そのようにして、クラッシック音楽の良き愛好家でもないし、真っ当な鑑賞...
2015年2月15日奈良原一高〜写真集から来るべき書物へ絵画作品や工芸作品と同様、印刷された市販の “写真集” における白黒写真は、やはりコピーとしての作品であって、撮影者自身が現像したゼラチンシルバープリントに代替え可能な作品とは成り得ないだろう。 その “写真集” としての可能性は、撮影者自身によるオリジナルプリントの...
2015年2月13日瀧口修造〜collaboration、hommage、critiquecollaboration(共同)、hommage(敬意) 瀧口修造の芸術表現のあり方や生き方は単独者としての生そのものの創造と再生への夢見であり、国内外の著名なアーティストたちにより、瀧口氏との collaboration として、あるいは、瀧口氏への hommage...
2015年2月12日奈良原一高〜「王国」写真展国立近代美術館開催(2014.11.18~2015.3.1)の奈良原一高の写真展「王国 (Domains)」を見た。この「王国-Domains」(1956-1958年 撮影)シリーズは、「人間の土地」(1954-1957年...
2015年2月3日瀧口修造〜創造のミューズ多くの著名な芸術家にとってそうであるように、私にとっても、瀧口修造(1903-1979)は創造のミューズであり、創造的なスピリットを発信し続けている人物である。アイドルの “追っかけ” のようにして、ずいぶん前から瀧口氏が表現し行為してきた軌跡を追いかけているが、あまりに大...
2015年1月18日白黒写真〜銀を撮ることプロフィール的な写真撮影は別として、私の撮る写真は基本的に白黒。そして、より納得がいく写真は、白黒フィルムによる銀塩写真を自分の手でバライタ紙に暗室現像したゼラチンシルバープリントである。それなりの写真が容易に撮れてしまう高性能デジカメによるカラー写真の類いは、私には安易す...