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瀧口修造〜創造のミューズ


 多くの著名な芸術家にとってそうであるように、私にとっても、瀧口修造(1903-1979)は創造のミューズであり、創造的なスピリットを発信し続けている人物である。アイドルの “追っかけ” のようにして、ずいぶん前から瀧口氏が表現し行為してきた軌跡を追いかけているが、あまりに大きな存在で、今でも瀧口氏が残した表現と行為の周辺をぐるぐる彷徨っている。

 若かりし頃から、感傷的で自己憐憫に満ちた詩や小説に遭遇すると、きちんと読む前から、つまらない世間話や愚痴話を覗き見るような感じになり、ちょっとかじっていたポール・ニザンの真似をして「20歳、それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと誰にも言わせない」(『アデン・アラビア』)などと装い、格好つけながら避けてきた私のような体癖や気質にとって、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(1967年、思潮社刊)で目にした一群の詩的作品は、小説における埴谷雄高『死霊』を読んだ時と同様、言葉による表現の新たな可能性(その不可能性までも含み込んだうえで)に目覚めた新鮮な出会いであった。また合わせて、それらの詩的作品が、〈あの時代の日本〉において誕生していたことにも驚いた。

 『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』での発語や文脈は、今なお私にとって、謎に満ちた「玉手箱」に納められた煌めく言葉のオブジェとして、圧倒的な存在感で私の前に聳え立っており、それらについて何か語ることは容易ではないし、余り意味をなさないかもしれない。

 直感的な印象を何か語っておきたいという誘惑のままに語るとすれば・・「地球創造説」(初出1928年)には創世記としての神話的なロゴス、「実験室における太陽氏への公開状」(初出1929年)には錬金術としての宇宙的なパトス、「絶対への接吻」(初出1931年)には恋愛劇としての抽象的なエロス・・といった個的人間を超えたエネルギーを言霊のようにして感受したのである。

 そして、阿部芳文との詩画集として出版された「妖精の距離」(初出1937年)は、阿部芳文の抽象的デッサンとの詩画集であり、また、1937年という時代的背景もあってのことだろうが、「地球創造説」「実験室における太陽氏への公開状」「絶対への接吻」などとはやや異質なおもむきで、鋭い緊張感を保ちながらも瀧口氏特有の硬質で透明な叙情性をまっすぐに感じる。この「妖精の距離」は、西脇順三郎に「シュルレアリストとしての純粋の代表的傑作だと思う」と評されたそうだが、私は親しみを感じると共に率直に好きな作品である。

 「実験工房」や「タケミヤ画廊」等で果たしてきた、戦後日本の芸術世界における瀧口氏の表現や存在のあり方、そして、行方知れずに消費される評論的・批評的な言葉を断念・放棄した所で、「リバティ・パスポート」や「デカルコマニー」のごとく、ひとりの個的存在として表現すること自体への愛着と共振。また、自宅で熟した「オリーブの瓶詰め」やデュシャンから贈られたローズ・セラヴィの名を冠した書斎の「オブジェたち」。私にとって、ひとりの人間の生き方として魅力的なのだ。

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