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奈良原一高〜写真集から来るべき書物へ


 絵画作品や工芸作品と同様、印刷された市販の “写真集” における白黒写真は、やはりコピーとしての作品であって、撮影者自身が現像したゼラチンシルバープリントに代替え可能な作品とは成り得ないだろう。  その “写真集” としての可能性は、撮影者自身によるオリジナルプリントの再現性のみを追求することにあるのではなく、1冊の “書物” へと生成する “写真集” として編集し造本することに求めるべきなのだ。  先に “奈良原一高〜「王国」写真展に寄せて” で触れた奈良原一高の “写真集” の多くは、そうした一定のコンセプトに基づく “書物” 作りを意図して編集・出版されている。  奈良原氏のそのような “書物” 作りの出発点は、1956年、無名時代の池田満寿夫による詩、新人画家であった真鍋博によるエッチング、そして、その年に「人間の土地」シリーズの個展を開催して注目を集めた当時24歳の奈良原氏による扉写真、という3人のcollaboration(共同)からなる小さな詩画集(限定12部)作りにあるようだ。  そして、1997年になると、奈良原氏は「僕は写真は映像の詩であり、詩集のような形になってゆくような気がしていた。言いかえれば、そのような本を作っていくのが願いでもあった。50年代では無理であったこの願いはやっと60年代にはいってから実現しだした。」と語るのだ(『日本の写真家 31 奈良原一高』(1997年、岩波書店刊)より抜粋)。  白黒写真集4巻とともに、塩野七生「聖マルコ広場での断想」・陣内秀信「サン・マルコ広場形成史」・奈良原一高「夜と光のノート」というテキストをおさめた1冊の補遺からなる『光の回廊ーサン・マルコ』(1981年、ウナックトウキョウ刊)は、杉浦康平も造本に加わって、限定350部の “レインボー・ホログラム” 付の重厚な箱に入った “書物” となって目を引くものである。  しかし、この『光の回廊-サン・マルコ』における奈良原・塩野・陣内の3氏による写真作品とテキストは、それぞれの秀逸性はあるにしても、別個の作品として孤立したままであり、イマージュが交錯し合い心魂が響き合うような詩的なcollaboration(共同)は感受できなかった。  総じて、所有としての “書物” への愛着を考慮した編集・造本で、よくあるタイプの市販本の作り方と言えるが、私が夢想している来るべき “書物” のあり方ではない。  一方、『MARCEL DUCHAMP LARGE GLASS with SHUZO TAKIGUCHI CIGAR BOX』(1992年、みすず書房刊)は、白黒ではなくてカラーによる作品集であるが、イマージュの交錯と心魂の響き合いが、 “書物” の形を為したオブジェとして見事に結晶化している。  この “書物” の主要なコンセプトは、生前の瀧口修造からの依頼を受けて、奈良原氏が撮影したデュシャン「大ガラス」(フィラデルフィア美術館)のカラー写真と共に、瀧口氏が「シガーボックス」に残した「大ガラス」に関するメモ書きの撮影写真を掲載していることである。  この『MARCEL DUCHAMP LARGE GLASS with SHUZO TAKIGUCHI CIGAR BOX』は、大ガラスと称される「 La Mariée mise à nu par ses célibataires, même.」(通常、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」と訳されるが誤訳との指摘もある)を結びの縁として、デュシャン・瀧口修造・奈良原一高のイマージュが響き合うことで、瀧口氏がそのメモ書きに「一種異様な迫力」「ガラスの向うにあるものをガラスを通して見ている・・いわばイリュージョンか?」と記したごとく、「大ガラス」の偶然のひび割れ(搬送中の事故によるもの)という物質的天啓を孕んだオブジェとしての “書物” となっている。  造本上もっと工夫があれば、先に “瀧口修造〜collaboration、hommage、critique” において触れた『加納光於《稲妻捕り》Elements 瀧口修造《稲妻捕り》とともに』での「本のなかに本は無く 本のそとに本は無い」という瀧口修造のメモ書きのごとく、それ自体さえもイリュージョン的なオブジェへと異化することにより、来るべき “書物” の初まりとなり得たかもしれない。

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