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ジョン・コルトレーン〜その魂との同伴


 18~19歳の若かりし頃、jazz喫茶で毎晩のように浸りきっていたジョン・コルトレーン(John Coltrane、1926.9-1967.7)。当時、LPとして聴くことのできた彼の演奏は、jazzの歴史を学ぶようにしてほとんど聴いたと思う。  他の多くの若者と同様、ある特定の人々・書物・芸術作品との運命的な出会いに支えられ、若かりし私は疾風怒濤の時代を生き延びた。コルトレーンの音楽、そして、彼の存在は、そんな出会いの中でも相当大きく、私は世に言う「コルトレーン信者」の一人だった。   その当時、マッコイ・タイナー(p)/ジミー・ギャリソン(b)/エルビン・ジョーンズ(ds)とのカルテットによる『Coltrane Live At The Village Vanguard』(1961年ライブ録音/エリック・ドルフィー(as&bcl)他も参加)や『Transition』(1965年スタジオ録音/ロイ・ヘインズ(ds)も参加)など、いわゆる「黄金のカルテット」による後期の演奏が私のお気に入りであった。  コルトレーンが亡くなった年齢を過ぎた頃の私は、仕事や世事に追われる中、音楽よりも美術の表現に自分の創造的世界を見いだし、手にしていてたコルトレーンのLPに針を落とすことが少なくなった。音楽表現の “直接性” と “時間性” よりも、美術表現の “間接性” と “空間性” の方に惹かれたようだ。  またその頃、1966年以降の「黄金のカルテット」解散後のコルトレーン晩年の演奏については、心の片隅で気になりつつも、その圧倒的で混沌としたパワーの充満する演奏に足を踏み入れると、今後の仕事や世事に差し支えそうで、無意識のうちに避けていたようだ。  最近、かねてより偏愛する作曲家・曲目・演奏家による音楽を聴いている。コルトレーン晩年の演奏についても、私がコルトレーン音楽から離れていた時期に新しく発見・発売された録音CDも含めて再び聴き始め、コルトレーンとの結びの縁を再開・継続している。  『Live At The Village Vanguard Again』(1966年5月)、『Live in Japan』(1966年7月)、『OFFERING Live At Temple University』(1966年11月)、『The Olatunji Concert』(1967年4月)といったライブ録音を中心に、ファラオ・サンダーズ/アリス・マクロード(コルトレーン)/ジミー・ギャリソン/ラシード・アリを主としたメンバーによるコルトレーン晩年の演奏を数ヶ月かけて聴き通した。  その晩年の演奏における・・強い凝縮力と果てしない持続性、激しい求道心と深い精神性、そして、他のメンバーとの交感と高揚・・を目の当たりにすると、畏敬と共に私の心魂が共鳴し身体が熱くなる。人生、歳とるのもいいようだ。ここまで生きてきて、コルトレーンの音楽と存在に再び寄り添い、その “魂=霊性” と同伴することができるのだから。

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