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ルドルフ・シュタイナー〜霊性への導きの師


 ある特定の「書物」に記された言葉との出会いに、超感覚的でありながらも確信的なイメージとして、ある種の叡智(ソフィア)との運命的な邂逅を体験する。そうした体験は今までの人生の節目で確実に幾度か起きており、具体的な生き方として私の思想や感覚に飛躍的な地殻変動をもたらしている。  今の私は、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner/1861-1925)の名のもとに編纂された「書物」の言葉の内に、霊性への導きの師としてのシュタイナーの叡智を言霊のように聴き取り、シュタイナーという人の霊的存在が傍らに在ることを感じている。  シュタイナーの存在や言葉について、理知的な概念や現象的な感覚に依拠して語ることはできないし、まったく意味を為さない。ここで私が語ろうとするのは、シュタイナーの言葉を私への個的な “伝授” として聴き取り、私という〈閉じられた自我〉の殻を脱ぎ捨てる修行としてあるのだ。  「私にとってのシュタイナー」とは・・物質的身体・エーテル体・アストラル体・個我としての人間、睡眠時に宇宙意識へと還るアストラル体、愛としての思考の営みの中での自由、自由としての意志の営みの中での愛、宇宙意識そのものの霊的な進化(=深化)としてある私の輪廻転生・・について、霊視(Hellsehen)と共に「霊学(Geisteswissenschaft)=人智学Anthroposophie」として私に呼びかける、霊性への導きの師なのである。  ルドルフ・シュタイナーについて、アカデミックで公式的な哲学や思想の場で触れられることは今でもほとんどなく、いわゆる “オカルト” 思想の持ち主として敬遠されているようだ。  そう思う人は、率直に言ってしまえば、シュタイナーの言葉に向き合う人生の準備ができていない訳で、シュタイナーを読む必要はないし、むしろ、無理して読んだりすると、まやかしの神秘主義やオカルティズムに陥ることになるかもしれない。  シュタイナーの言葉は、宗教的・神秘的に信仰されるものでもないし、研究的・学問的に研究されるものでもなく、自らの心魂や霊性への呼び声として、私自身の “縁” として個的に読み解かれる言霊なのだ。

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