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クリシュナムルティ〜平和への叡智


 「平和」とは、現代世界における戦争と紛争に関わる政治的・社会的な課題であり、地球と人類の在り方・生き方に関わる魂的・霊的な課題でもある。また、そのように捉えなければ、「平和」の真の姿は見えてこない。  昨今の国政や世情の動きの多くは、こうした政治的・社会的な課題としての「平和」と魂的・霊的な課題としての「平和」に関して、その前文や第9条においてみごとな指針と方法を示している現行日本国憲法の平和主義について、恣意的、あるいは、無自覚に忘却したがっているようだ。  クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti/1985-1986)は、その『最後の日記(Krishnamurti to himself - His Last Journal)』(高橋重敏訳、平河出版社)により自然と生命への交感に満ちた言葉と共に、地球と人類の在り方・生き方を鋭く見通しながら、政治的・社会的な課題としての「平和」について、次のような今日にあっても示唆に溢れた叡智のメッセージを記している。  「この世界は、この大地は区切られ、細分されてしまっている。そのためわれわれは戦い、争う。そして政治家はこの分割された地域を守るべく力を誇り、全体としての世界を見ようとはしない。彼らは世界的な心を待たないのである。彼らは国民性もなく、分割もないことの計り知れない可能性を決して感じたり、知覚したりすることはない。自分たちの力の醜さ、地位や強い自負心の醜さを決して認めることができない。」(1983.3.11) 「地球は、あなたのものでも、私のでも、彼のでもなく、われわれの地球である。われわれはお互いを助け、つぶし合わないで、その上に生きてゆく責任がある。これはロマンティックなたわごとではなく、厳然たる事実である。」(1983.3.31)  いま再び、このクリシュナムルティの「平和」に関わるメッセージに触れ、私自身や私たち人類の魂的・霊的な「平和」の在り方と共に、政治的・社会的な課題としての「平和」について想いを強め決意を新たにしたい。

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