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瀧口修造〜collaboration、hommage、critique


collaboration共同、hommage敬意

 瀧口修造の芞術衚珟のあり方や生き方は単独者ずしおの生そのものの創造ず再生ぞの倢芋であり、囜内倖の著名なアヌティストたちにより、瀧口氏ずの collaboration ずしお、あるいは、瀧口氏ぞの hommage ずしおの䜜品創造が尜きないのも圓然のこずであろう。

 それらのオリゞナル䜜品は矎術展等でしか接するこずはできないが、ミロずの詩画集『ミロの星ずずもに 』1978幎、平凡瀟刊、そしお、加玍光斌の゚ンコスティック技法着色した蜜蝋を利甚した叀代から䌝わる絵画技法を甚いた《皲劻捕り》䜜品に基づくカラヌ図版ず瀧口氏の《皲劻捕り》に寄せた手皿手曞きのたたコピヌによる詩画集的曞物『加玍光斌《皲劻捕り》Elements 瀧口修造《皲劻捕り》ずずもに』1978幎、曞肆山田刊は、ミロ䜜品や加玍光斌䜜品そのものに魅かれる私の手元にあっお、独特の気ず銙を発し続ける確固たるオブゞェずしお存圚しおいる。たた、これらの「曞物」は、relieur補本工芞に取り組む私にずっお、オブゞェずしおの造本䞊のコンセプトやデザむンを考える参考にもなる。

 『加玍光斌《皲劻捕り》Elements 瀧口修造《皲劻捕り》ずずもに』は、「手ガ県ニワズカニ先行スルトキ」ず瀧口氏が手皿ずしおカッコ付で蚘し、「浞食しあう圢態の、その瞁蟺。垞にそうである “もの” の茪郭の震え。」 “ ” 内は本文での圏点箇所ず加玍氏が埌曞きに蚘すように、人の思考・想念を超え出お浞透する “もの” ずしおの《皲劻》の気配を感じさせる造本のコンセプトが生きおおり、たた、本文甚玙の質や糞綎じであるこずも造本ずしお評䟡できる。

 しかし、せっかくの加玍氏の䜜品に぀いお・・たったく䜙癜のない図版頁ずしお掲茉したこず、保護ケヌスや芋返し頁そのものに図版を掲茉したこず、背綎じの造本に難があり “本の開き” が硬すぎるこず・・に぀いおは、「曞物」ずしおの矎しさず機胜の面から疑問を感じる。

  “「瀧口修造」〜創造のミュヌズ” で觊れた「劖粟の距離」に寄せた歊満培の同タむトルのピアノずノァむオリンによる二重奏曲1951幎䜜曲も、 “劖粟のスピリット“ を感じる楜曲で私のお気に入り。むしろ、この歊満培の曲からの心象により、瀧口氏の詩自䜓を読んでいるのかもしれない。

critique批刀

 生田耕䜜は、戊時䞭に「倧東亜戊争ず矎術」ずしお発衚された瀧口修造の文章『生掻矎術、昭和17幎2月号』を再掲茉し、「䌌非シュルレアリストの軌跡ヌ瀧口修造資料ヌ」ず題しお、生田氏らしい衚珟で痛烈に批刀しおいる生田耕䜜評論集成『超珟実の方向ぞ』所収。

 この瀧口氏らしからぬ文章の存圚を知った時、私自身もいささか耇雑な心境ずなり、可胜な範囲でこのこずに぀いお觊れおいる論考等を探しおみた。しかし、『コレクション瀧口修造13』1995幎、みすず曞房刊に資料的な掲茉はあったものの、きちんずした論考は芋圓たらなかった。

 詳现は専門倖の私には䞍明のたただが、少なくずも、この「倧東亜戊争ず矎術」掲茉の前幎昭和16幎/1941幎春、「シナヌル・リアリズムは反ファッショ的傟向を濃厚に持ち、䞔共産䞻矩理論の革呜性ず盞通ずるもの」特高月報昭和16幎/『コレクション瀧口修造13-解題-』より抜粋ずの嫌疑により、犏沢䞀郎ずずもに瀧口氏が特高に怜挙・拘留8ヶ月埌に起蚎猶予で釈攟されたずいう、時系列的な事実関係はきちんず理解しおおくべきだず思う。

 圓時、少なからぬ著名な芞術家たちが、瀧口氏に増しお盎情的ずも蚀える戊意高揚的な䜜品を発衚しおいるこずも事実であり、政治・思想・芞術・宗教等、それぞれの立ち䜍眮で、圓時の囜家䞻矩的匟圧䞋での “戊争責任” や “転向” の問題ずしおトヌタルに考察するべきだろう。

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