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コロナパンデミックの〈出口戦略〉〜社会構造の根本的変革に向けて

 コロナパンデミックの〈出口戦略〉と称して、最近話題となっている「社会経済生活の復興」に向けての方向性がどうにも合点がいかない。コロナパンデミックの猛威をどのようにして治めていくべきなのか、医学的・疫学的な見地からの判断については素人の私がきちんと見極めることは難しい。

 しかし、コロナパンデミックの〈出口戦略〉のあり方として論じられている「ソーシャルディスタンスの確保」「テレワークの拡充」「9月入学の検討開始」 etc. ……私もそれら自体の必要性は認めるにしても、こうした観点からのみでコロナパンデミックの〈出口戦略〉を考えることはただ単にまた元の生活に戻ろうとするだけであり、コロナパンデミックによる人的・社会的な痛苦・苦悶・教訓から何も学ぼうとしない安直で怠惰な姿勢だ。

 コロナパンデミックが私たちに突きつけているのは、前にも触れたように医学的・疫学的な問題だけに留まるものでないことは明らかである。崩壊の危機に瀕する医療・介護制度、生活の困窮に瀕する社会的・経済的な弱者、学びの喪失に瀕する子ども・青年たち、そして、「三密(密集、密閉、密接)」と言われる感染拡大の社会的要因である「大規模・多人数・過密化」(過疎化との相似を為す社会状況)に依存する経済効率優先・都市生活中心・刹那的快楽追求の経済的・社会的なシステム……こうした近代世界において成立・発展してきた社会構造そのもののあり方を厳しく問い直すべきなのだ。

 「崩壊の危機に瀕する医療・介護制度」については、経済効率優先の元で進められている公的な保健所や医療施設の削減縮小の見直し、感染症対策に関する公的な組織や機構の整備、さらには、看護師・介護士等の医療・介護従事者の増員配置・報酬増額等の改善策を政府・行政の責務として早急に進める必要がある。

 「生活の困窮に瀕する社会的・経済的な弱者」については(〝後出し〟となった「個人への一律現金10万円給付」に象徴されるような)、「全国民に対するベーシックインカムとしての恒常的な社会保障(生計保障)制度」の構築を検討すべきである。

 「学びの喪失に瀕する子ども・青年たち」については(9月入学の検討とは別の問題として)、緊急事態や災害等にも対応可能な学習環境の整備・拡充や教職員の増員配置・報酬増額とともに、学びの主体者である子ども・青年たちの目線に立つ教育理念・教育内容への質的転換が求められる。

 そして私が最も気にかけるのは、「三密(密集、密閉、密接)」という感染拡大の社会的要因である「大規模・多人数・過密化」という慢性的な社会状況に向けての取り組みである。この問題の解決策をただ単に「ソーシャルディスタンスの確保」という〝号令〟のような掛け声により、社会的な道徳規範のようにして国民に求めるのは……今現在の「自粛要請」「ステイホーム」と同様、緊急避難的には有効(コロナ対策で迷走する政権・行政の免責にも有効!?)であるにしても……感染症拡大防止策として長期にわたる真っ当な問題解決には繋がらない。

 「ソーシャルディスタンスの確保」により回避すべきだする「三密(密集、密閉、密接)」とは、そもそも……近代世界において成立・発展してきた社会構造としての……「大規模・多人数・過密化」(過疎化との相似を為す社会状況)に基づく経済効率優先と都市生活中心の社会システムが生み出す今日の社会状況に他ならない。つまり、大規模・多人数であればあるほど刹那的快楽の相乗効果とともに経済効率が上げることとなり、結果として〝都市〟に人と施設が偏在・過密化(一方で〝地方〟の過疎化が進む)する要因となっているのだ。

 不要不急の「三密(密集、密閉、密接)」を回避すべく「ソーシャルディスタンスの確保」を実現しようとするならば、ただ単に社会的な道徳規範としてではなく、経済効率優先・都市生活中心・刹那的快楽追求の経済的・社会的なシステムのあり方自体を見直すべきだ。

 そのためには……人と物とが世界的なレベルで「緊密化」しているグローバリズムのあり方を含めて……「命・健康や教育・文化を育む仕事、そして、衣食住という実質的な日常生活やライフラインを支える産業」に対する精神的敬意と社会的尊重と共に、「自然エネルギー資源を含めた第一次産業(=自然資源を基盤とする産業)」を大切にする地産地消的(=生態地域主義的)な経済システムへの質的変革が何よりも必要とされる。

 また本気で「ソーシャルディスタンスの確保」と言うならば、私たち人類と動植物との適切な「エコロジカルディスタンス(生態的距離)」……新型コロナウィルス等の感染症の要因のうちに、生態系破壊に伴う人類と動植物との生活圏の〝接近(密接)〟を指摘する専門家の意見に私は同意している……についても考慮すべきだ。

 さらに「三密(密集、密閉、密接)」の回避というアナロジー(類比)でいうならば、政治権力の「密」としての一極集中(=中央集権化)を止めるべきだ。コロナパンデミックの対応・対策にあたって、今の安倍政権が右往左往・迷走するのは「密室的」な権力集中の弊害を如実に示している。〔補註〕

 そして、ストレス解消と称して刹那的快楽を求めての遊興三昧、訳もなく多人数で群れをなしての喧噪なイベント開催、現地事情を顧みない自己満足としての豪奢な海外旅行 etc.……経済成長の掛け声(=幻想)に浮かれて常態化している私たち自身の唯物的欲望や自己顕示欲についても、コロナパンデミックの真っ当な〈出口戦略〉に向けて一個人として真摯に省みるべきだ。

 ともかくも、コロナパンデミックの〈出口戦略〉の方向性として以前の社会構造や生活実態にそのまま後戻りすることは、〝コロナパンデミックを無かったこと〟にするだけであり、私たち人類と地球の未来への展望は閉ざされたままとなる。

 私たち人類は、このコロナパンデミックを痛苦の〝契機〟として……医学的・疫学的な課題とともに……私たち自身と世界と地球の再生をかけて「近代世界において成立・発展してきた社会構造」そのものの根本的変革に向けての展望を語り合い、その実現に向けて力を尽くすべきだ。

〔補註 05/15〕現下のコロナパンデミックの最中、安倍政権は「平均寿命の伸長や少子高齢化の進展を踏まえ・・国家公務員の定年を引き上げる」(内閣官房ホームページより抜粋)として、「国家公務員法改正案」と一体をなす形で「検察庁法改正案」の成立を急いでいる。今このことについて、〈検察庁法改正案に抗議します〉というツイッターでの投稿が拡散・急増しているとのこと。  私はツイッターを利用しないが、このツイッター上での盛り上がりには……ツイッター特有のいわゆる〝炎上〟的な様相もあるようで、それなりに冷静な熟慮・対応が必要だと思うが……「森友・加計学園」「桜を見る会」の問題、そして、「コロナパンデミック」における失策的迷走状態 etc. で露わとなった国民生活に無理解・無共感な「密室的」安倍政権に対する私たち国民の疑念・不信・不満の高まりが背景にあることは間違いなく、安倍政権への国民の不信感・拒否感とともに今の日本の民主主義の危機的状況を象徴している。

 今後、このツイッターでの盛り上がりを一過性のものとすることなく、「検察庁法改正案」の問題点とともに安倍政権が為してきたこと(例えば「安保法制」etc.)、為していること(例えば「辺野古基地建設」etc.)、為そうとしていること(例えば「憲法9条改定」etc.)の問題点もしっかりと見抜き判断して、私たち国民の声(民意)をきちんと国政に生かす動きに繋げていきたい。 〈追記〉「国家公務員法改正案」と一体をなす「検察庁法改正案」を巡る主な内容(論点)は……それが政権の狙いかと邪推!?してしまうくらいに……私たち一般人には少々読み取りづらいのだが、私は(定年制延長それ自体は良しとしても、また、そもそも認証官である検事総長・次長検事・検事長という検察幹部の任命権が内閣にあるにしても)……「検察幹部・検察官の勤務・定年の延長に関して、その特例規定として内閣・法相の判断(裁量)により延長可能となる」……ということだと捉えている。  一般の国家公務員とは異なり「国家の刑事訴追機関としての公訴権を独占的に有する」検察官(「準司法官」)の勤務・定年延長に関する権限を内閣・法相の判断(裁量)に委ねることは、その「公訴権」行使について政権絡みの〝介入〟〝忖度〟の余地(懸念)を残すものである。今年1月の「黒川東京高検検事長の定年延長」という〝特例(異例)〟の閣議決定に始まり、「コロナパンデミック」の最中での国会成立を急ぐ……その拙速な手続き面を含めて、私たち国民にとって〝不要不急〟な「検察庁法改正案」は私も到底容認できない。

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