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R・シュタイナー『社会問題の核心』[5]〜プロレタリアにもたらされた唯物的思考の幻惑


[第1章 現代社会の根本問題]から-2

《2》プロレタリアに組み込まれた唯物的思考の幻惑

シュタイナーは、当時のプロレタリアの諸要求の内奥に「純人間的な精神衝動」を洞察すると同時に、そのプロレタリアの意識あるいは無意識のうちに、イデオロギー的な幻惑として組み込まれた「科学的な思考方式」の無力さを見出して次のように述べる。

【科学的な方向づけを持った思考方式によって、近代プロレタリアは、科学そのものだけでなく、 芸術、宗教、道徳、法までをもイデオロギーの構成要素と考えるようになった。精神生活におけるこれら諸分野が物質生活に何かをもたらしてくれるような、現実存在なのだとは、とても考えられずにいる。(中略)近代の精神生活が支配階級からプロレタリア的民衆へ移行していった際、この民衆の意識には、精神本来の力が遮断されていた。社会問題を解決する力のことを考えるときには、この点をまず前提にしなければならない。この事情が相変わらず生き続けていく限り、人間社会における精神生活の働きは、現在と未来の社会要求の前で、その無力さをさらけ出すしかないだろう。】(「未来の生き方の思想的基盤」p21)

 ここでシュタイナーの言う「科学的な思考方式」について、私は、デカルトやニュートンを源とする近代の思想家・科学者らによって……観念的に抽象化された〈精神生活〉と唯物的に機械化された〈物質生活〉の物心二元論に基づく「唯物的思考」……として理解する。この「唯物的思考」とは、シュタイナーが指摘するように……〈物質生活〉が〈精神生活〉の土台(=下部構造)となり、「芸術・宗教・道徳・法」(=上部構造)のあり方は、その〈物質生活〉によって規定される……と考えるイデオロギーとしての唯物論である。

 近代的な物心二元論を基礎とした「科学的な思考方式」=「唯物的思考」からは、シュタイナーが言うように……〈精神生活〉における諸分野(芸術・宗教・道徳・法)は、〈物質生活〉に影響・変容をもたらす現実存在である…という“存在の事実認識”としての一元論的な理解が得られることはない。[註]

[註]近代における物心二元論の問題については、本ブログでも先に取りあげたシュタイナーの『自由の哲学(1894)』(高橋巌訳/2002/筑摩学術文庫刊)に学ぶことが多い。

 こうして……〈物質生活〉は近代的な産業・資本として、〈精神生活〉は近代的な合理・科学として……プロレタリアの生活のうちに幻惑として組み込まれ、それぞれが孤立化・暴走化するとともに、〈精神生活〉と〈物質生活〉が本来備えている有機的な生命力は無力なままとなる。

 今日でも、「科学的な思考方式」=「唯物的思考」の幻惑のもと、瞑想・気功・ヨーガ等による「心身一如」(身心一如)としての有機的な生命観は、非科学的で理解不能なものとして扱われがちである。例えば、ここ6〜7年の間、野口晴哉(1911-1976、活元運動や愉気法を創始した整体指導者)の教えを受け継ぐ整体指導を習い受けている私には、その野口晴哉の次のような言葉は紛れもない実感的事実なのだが、「唯物的思考」からすると近代的医学とはかけ離れた非科学的な空想論として片付けられてしまうのだろう。

【もともと病症といへるもの 人体の健康復帰運動にして これを制して治療といふこと無き也 これらの病症を制することを以て治療也と考へてゐるは 臆病なる人々の錯覚也 病気を治すこと治療に非ずして 自ら病気が治るやうな体や心になること何より也 胃のはたらきも 心臓のはたらきも 心の動きに応ずる也 治療に心のこと忘る々は 人の生きるを知らざる也】(『偶感集』(1986/全生社刊)所収、「治療といふこと」p54)

 私にとって、こうした野口晴哉の言葉が届くことのない「検査漬け」「薬漬け」のような“治療”は、「唯物的思考」のもとで無力化された〈精神生活〉のままに、不健康に歪んだ〈物質生活〉に囚われの身となることを意味する。統合医療の臨床的視点からアンドルー・ワイル( 1942− 、アメリカ)が記した次のような言葉の内にも、野口晴哉の整体指導と同様、近代的医学における「唯物的思考」に基づく機械論的な“治療”……有機的な生命体としての心身を機械部品のようにして分解し操作すること……への根本的な問題意識が見て取れる。

【わたしは現代医学の抑圧的な傾向を憂える者である。(中略)真に深刻な状態に対処する医療技術として一時的に用いるかぎり、わたしは抑圧的な治療法に反対する者ではない。しかし、病院勤務をはじめてすぐに気がついたのは、日常的・標準的な治療戦略としてそのような方法に依存していると、つぎのふたつの問題が生じやすいということであった。(中略)より厄介な第二の問題は、抑圧的な治療法をつづけているかぎり、病気を解消するどころか、病気のプロセスを強化させてしまう可能性が高いということである。】(『癒す心、治る力』(1995/角川書店刊)所収、「〈抗〉医学の限界」p24-p25)

 現代を生きる私たちは、こうした「唯物的思考」の幻惑から、もうそそろそろ、本当に目醒めるべきなのだ。

〜続く〜

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