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ヴァレリイ・アファナシエフ〜アンドラーシュ・シフのピアニズムと共に(3)


アポロンとディオニュソスの揺らめき

 アンドラーシュ・シフとヴァレリイ・アファナシエフは、元来(体癖として)は異質なタイプのピアニストであると思う。どちらかと言えば、シフのピアニズムの基底には、画家セザンヌのような造形的な構築性により、自らの曲想とピアノとが知性的に親和するアポロン的な響きがある。

 一方、アファナシエフのピアニズムの基底には、画家ゴーギャンのような直観的な総合性により、自らの曲想とピアノとが情動的にせめぎ合うディオニュソス的な響きがある。この2人による文章や言葉を見ても、シフのものはより思索的であり、アファナシエフはより文学的な表現である。

 とは言え、どのようなピアニスト(表現者)であれ、アポロン的な構築性のみで、楽曲(作品)が音楽(芸術)としての内容を有して人の感受性のうちで存立し得ないと同様、ディオニュソス的な情動性のみで、楽曲(作品)が音楽(芸術)としての形式を有して人の感受性へと届くことはない。アポロン的叡智もディオニュソス的叡智も共に働くことで、音楽(芸術)を表現し音楽を聴くという人としての知性的且つ感情的な行為が成立する。

 近年におけるシフとアファナシエフという二人のピアニズムがシンクロするかのように変容・深化していく演奏を聴くと、私としては……現代という危機的な時代にあって、より混迷・惑乱する情動や激情を自らの知的且つ意志的な演奏のもとに形象化することで、その情動や激情を自らの心魂のうちに浄化し解放する音楽表現(芸術)のあり方、あるいは、アポロン的な構築性とディオニュソス的な情動性の狭間で揺らめく美的衝動の可能性と行く末……ということに想いが至る。

 そして、シフとアファナシエフという同時代を生きる二人のピアニストが、アポロン性とディオニュソス性の狭間で必死に揺らめきつつ、そのピアニズムを変容させながら深化させていることは、この今が、私たちが人間的理性(悟性魂)のもと、安寧に生き存える平穏な時代ではないことの証のようにも思える。

 私たちの心魂は、ユートピアへの道にあるならば、アポロンのままで知性のもとに安住できようし、ディオニュソスのままで情動のうちに解放されよう。しかし、精神的にも物質的にも瀕死の現代にあって、アポロンのままであることは凍てつく孤立へと、そして、ディオニュソスのままであることは身を焦がす狂想へと、私たちの心魂は閉ざされたままとなろう。

 アンドラーシュ・シフとヴァレリイ・アファナシエフの共時的・同時代的なピアニズムの変容を聴くことから……シュタイナーの言うがごとく、この今、私たちは「意識魂」として、アポロン的叡智のもとに覚醒し、ディエニュソス的情動のうちに意志するという、アポロンとディオニュソスの狭間で必死に揺らめきつつ、人としての歩み(=霊的進化)を辿るのだと想い至る。

〜完〜

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