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ルドルフ・シュタイナー〜宇宙の霊性と人間の物質性の結び


 日本人智学協会による高橋巌氏の講座(まだ一般には刊行されていないルドルフ・シュタイナーの論考について、高橋先生の日本語訳テキストによる説明に基づきながら、各自の読みを深めていく自主的な講座)で、半年程前、ルドルフ・シュタイナーの講義録『宇宙の霊性と人間の物質性を結ぶかけ橋ー自由と愛、世界の出来事にとってのその意味』(1920.12.)を読了した。

 この講義録『宇宙の霊性と人間の物質性を結ぶかけ橋』は、シュタイナー思想の核心に触れる多面的且つ深い内容を持つ魅力的な内容であった。とりわけ、 “霊性” と “物質性” 、そして、 “自我” をめぐる私なりの理解と感受を深めてくれた。

 高橋先生の日本語訳テキストからの抜粋(抜粋順の入れ替え有り)とともに、「霊性と物質性の結び」から「自由と愛」へと霊視するシュタイナーの言葉を辿りたい。

 まずは、「眠りと夢見る眠りと覚醒状態、私たちはこの三つの認識段階をもっている」「夢のない眠りは、生体としての私たちの全人性の意識を、それ故ひとつの認識を与えてくれる」(第1講)という、私たちの認識あるいは感覚のあり方を実感として理解することが、「宇宙の霊性と人間の物質性との結び」に近づく出発点となる。

 私たちは、眠ることで自我とアストラル体が自己から離れ、その代わりとして、自己の内部を宇宙のアストラル体とそこに浸透する霊性に委ねるという「生体上の自己認識」を行っているということだ。

 従って、覚醒時における知覚や思考のみに基づく理性的論理(哲学的・心理学的な凍った思考)では、人間と世界の物質性や物理的因果関係(=法則性)しか見えてこないため、霊性と物質性を結ぶ橋を自己の内に架けようがないし、そもそも、この「結び」自体が自己の課題として立ち現れてこない。

 理性的論理のみでは・・「固体のからだだけを見て、そしてこの意識状態(自我)だけを見ています。そうなると、これ(自我)は空中にぶらさがり、そしてこれ(固体のからだ)は地上に立っています。そこには関連が見出せません」(第1講)・・ということになり、「私たちは物質的なものの中に留まりながら、この物質的なものの中で霊的なものにまで上がっていくことができる」(第2講)という「純粋経験」としての “遠き呼び声” を聞き逃すことになるのだ。

 「生体上の自己認識」によって、自己の内部に委ねられた宇宙のアストラル体・霊性が身体化・物質化され、宇宙は私たちの内部で意識化される萌芽を得る。その自己意識(自我)は、私たち人間の素材・エネルギーとして、思考内容・法則性という「假象の姿」となって現れてくる。

 そのため、私たちは「人間と宇宙との関連を理解するためには、物質的なものを精妙化し、希薄化して、その希薄化された物質的なものに魂的なものが直接 ー 熱におけるよう に ー 介入できなければなりません」(第2講)し、そのことにより、私たちは「生体を熱の生体にまで辿っていくなら、からだの中で熱として存在しているものから、魂の働きへ、ひとつの橋を架けることができる」(第2講)のだ。

 ここでいう「熱」とは、自我が意志として働らく「熱の生体」を形成し、その「熱の生体」を出入りする宇宙的な「熱エーテル」として理解できる。

 ここでの「物質的なものを精妙化し、希薄化して」という言葉に注目したい。物質的なもの(=感覚的・物質的な外界)について、数多くの思考内容として体験・獲得すればよいということではない。むしろ、“凍った思考内容”を自己の渇愛のままに堆積(=カタログ化)させればさせるほど、〈閉じられた自我〉としての私(=Ich)を〈開かれた霊我〉としての私(=Geistselbst)へと霊的に導く「熱」は、その自己意識の中に凍りつき閉じ込められたままとなるのである。

 シュタイナーの言う「物質的なものを精妙化し、希薄化して」とは・・「私たちの思考の世界は、運命的に定められた私たちの誕生を通して、現在の私たちを生じさせたこの世の人生経験を通して得てきた諸体験にまったく依存しているのですけれども、私たちは、外からやってくるものの中に、魂の深層から生じる意志を通して、まさに私たち固有のものを持ち込む」「この内的な意志の働きが思考内容の中で力強く、集中的になっていけばいく程、私たちは霊的になっていく」(第3講)・・ということを意味しており、“凍った思考内容”を溶かす「熱エーテル」として、「魂の深層から生じる内的な意志」の現実界(=人生)でのあり方が問われている。

 この「物質的なものを精妙化し、希薄化して」ということは、私の理解と行為に重ねるならば・・サマーディ(三昧)としての意志により、現実界(=人生)の物質性を想像と創造、あるいは、直感と瞑想によりイメージ化(霊視)し内面化(霊聴)していく結び(=産霊)・・ということである。

 『宇宙の霊性と人間の物質性を結ぶかけ橋』におけるシュタイナーの言葉は、さらに深く透徹していく。「思考内容に意志の働きを組み入れることで、私たちは自らの行動の中に愛を発達させるのです。そして意志の働きを思考内容の中に組み入れることで、私たちはみずからの思考の中に自由を発達させるのです」(第3講)と記し、愛と自由について、情緒的・唯物的・観念的・宗教的にでもなく、ましてや、徳目的にでもなく、その霊的且つ人間的な意味を伝えている。

 そして・・「人間が純粋思考に、つまり意志に浸透された思考に高められるとき、何が生じるのでしょうか。假象が消し去ったもの、つまり過去の現実と自我の本性に由来する意志との受精によって、人間の中で、新しい現実が未来へ向かって発展していくのです」(第3講)・・との言葉は、これまでの論述とともに、『バガヴァッド・ギーター』に示されているヴェーダやサーンキャの古代インド思想における「プルシャ/純粋精神」、「プラクリティ/根本原質」、「アートマン/真我」(=シュタイナーの言葉では「Geistesmensch/霊人」)のあり方を想起させるものであり、シュタイナーが古代インド思想の“系譜”でもあることを示している。

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