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水俣への旅〜私の悔恨と生き直しの旅


 先月、NPO法人・水俣フォーラムが主催する「水俣への旅」に参加した。その実施内容は、なかなか密度の濃い【学びの旅】であった。このハードスケジュールな旅の間、私はいつもの習慣の日々の晩酌は取りやめて、様々の場面にかなり本気で向き合うことになった。

 この旅に参加した動機は、最近、石牟礼道子の人となりや『苦海浄土』『春の城』といったその著作の表現世界に強く惹かれていたからである。

 この旅で出会った水俣の人々や自然のあり様、そして、強く実感した《水俣病》の根深さは、容易に語ることの出来ぬほどに私の心魂に深く響くものとなった。

 この旅で学んだこと、また、石牟礼道子やその著作等について、今の私が言葉としてまとめることはあまりに拙速であり困難である。いずれ少しずつ、何らかの形として私の深部からの表現として成熟するとことを期する他はない。

 ここでは水俣フォーラムに【私の悔恨と生き直しの旅】と題して寄せた参加感想文を掲載することで、「水俣への旅」を私自身の深部へと深めていく端緒としたい。

【私の悔恨と生き直しの旅】

 40年近く前の若かりし頃、私なりに《水俣病》の実態を理解し、一定の社会的行為としてその闘いにも同伴したつもりだった。しかしその後、いつのまにか《水俣病》は私の人生の視野から遠ざかってしまった。

 私は、当時の政治的・社会的な枠組みの中でのみ《水俣病》を把えていただけで、結局のところ傍観者に過ぎなかったのだ。最近まで『苦海浄土』を読みきれなかったことが、私の未熟さを象徴している。今の私にとって苦い悔恨である。

 3年程前に縁があって、ある舞台で観世流シテ方・中所宜夫とパーカッショニスト・加藤訓子による『オトダマ コトダマ 阿吽』を観た。この舞台は、石牟礼道子の「花を奉る」を主なモチーフとして構成されていた。

 「花を奉る」の言葉は、シテの謡となって加藤訓子のパーカッションと共振し、神話的口承として私の身体と感受を射抜いた。その後、石牟礼道子のエッセー的な文章などから読み始め、40年近く経てようやく『苦海浄土』全編も読み終えた。

 時代・場所・人称を超える石牟礼道子の文章=表現世界に只々驚嘆した。しかし今年2月、石牟礼道子がこの世を離れ去ってしまった。そこから、石牟礼道子と《水俣病》への空白を埋めることで、私の内に新たな世界・地平を希求する憧憬のような衝動がさらに強く立ち現れ始めた。そして、この「水俣への旅」の参加を決めた。

 この旅で出会った人々、どの方にも魂の奥深さと力強さを感受して幾度も目頭が熱くなり、今でも肌触りの様にしてお一人お一人への想いが殘る。今日も続く富国強兵=近代国家と経済成長=近代文明による収奪・抑圧により、棄民とされた人々の生命の苦悩と告発と希望、そして、破壊された水俣・不知火海の自然の苦悶と訴求と豊穣に直接的に触れ合うことで、政治的・社会的な枠組みには決して収まりきれない深く強いメッセージを受け取ることができた。

 石牟礼道子の心魂にも、もう一歩近づけた様な気がする。この旅で出会えた人々と自然に感謝し、その命に幸あれと願う。そして、この旅を企画した水俣フォーラムの洞察力に脱帽。この旅の経験を通して~石牟礼道子と《水俣病》への40年の空白を埋める~私の生き直しの旅がより深まった。

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