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山尾三省〜その遺言の響く「国会包囲」

 「どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。」・・日本の「民主主義」「市民社会」のあり方を根底から破壊する「安全保障法制」とその「手続き」への反対・批判を自らの言葉と行為で鋭く展開し続ける「SEALDs」(「Students Emergency Action for Liberal Democracy-s/自由と民主主義のための学生緊急行動」)の奥田愛基氏により国会中央公聴会(2015.9.15)で為された意見陳述の一文。

 私もこの言葉に、これまでには見られなかった“社会参加”の立ち位置を見る。それは、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」や「SEALDs」の呼びかけによる「国会包囲」の中にいて、私自身が肌で感じた特質そのものだ。

 手作りのプラカードや衣装、手持ちの楽器等を持ち込んで、各自が自由な時間帯で『個』として“社会参加”する多数の人々の確かな存在感。そこには、60年安保闘争の政治的特質性や70年安保闘争の文化的特質性とも異なった立ち位置での“社会参加”の姿を感じる。

 「安全保障法制」の成立は安倍政権・自公与党(+α)により強行されたが、今回明らかに、日本の「民主主義」「市民社会」の主体としての『個』が芽生えている。そして、その『個』の連なりが共振することにより、『個』としての感受・思考・意志を励まし、組織・体制の仕組みや政党・政治家の姿勢を問い直し・鍛え直しているのだ。今では“社会参加”の表舞台から身を引いて暮らしている私が、「国会包囲」行動に幾度か参加する位なのだから。

 先のブログで『山尾三省〜聖老人と「3つの遺言」』と題して・・「あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があることを、ぼくたちは知ってるよね。」・・として、14年前に山尾三省が遺した言葉を載せた。私は、この間の「国会包囲」で、この「豊かな”個人運動”」が花開き響き渡るのを聴いている。

 原発の再稼働、安全保障法制の成立、辺野古新基地の建設、東京オリンピックの準備・・等々、政治・経済・社会における“権力的な担い手たち”に横行する無責任・無節操・反知性には暗澹たるものがあるが、今は、こうしたファッショ的危機に抗いつつ・・『個』としての感受と思考に根ざした本当の「民主主義」「市民社会」が成熟していく・・“来るべき時期”なのだ。

 それは同時に、『個』として絶対的な単独者として・・その意志とともに心魂が熱く燃え、その熱とともに「閉じられた自我」が「開かれた自我」へと霊性を深めていく・・“来るべき時期”でもあるのだ。

 「南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。われらの日本国憲法の第九条をして、世界の全ての国々の憲法第九条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。」・・と山尾三省が遺した言葉は、国会を、日本を、世界を、そして、『個』である私たちを、包み抱きながら響き渡り木霊している。

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