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R・シュタイナー『社会問題の核心』[17-最終]〜生理的な社会感覚を身につけること

[訳者による解説とあとがき]から

《生理的な社会感覚を身につけること》

 長らく書き続けている〔ルドルフ・シュタイナー『社会問題の核心』を読む〕は、2017年5月に「半年から一年位はかかるかもしれない」として始めたものだが、様々な私的あるいは社会的な事情により、それから三年半あまりを経過して今回ようやくその最終節となる。

 この間、日本や世界の社会状況への懸念と不安は、最近のコロナパンデミックとも合いまって、よりいっそう錯綜化・複雑化する様相を呈している。こうした社会状況の中に身を晒しつつ、その奥底に横たわる問題を直視し続けることが、今の私たちに課されている人類史的・世界史的な課題なのだと思い定める日々である。

 その様な思いの中で本書[訳者による解説とあとがき]に書かれている高橋巌氏の論考を読み直すと……【ヨーロッパ社会は第一次世界大戦後、資本主義的市場経済への道と社会主義的統制経済への道の二つを模索していた。しかしシュタイナーはそのいずれの中にも、癌細胞に犯されている病んだ社会生命体の末期的症状しか見ることができなかった。】(p174)……などとの明解な指摘に接すると・・シュタイナーの社会認識の鋭さととともに・・高橋巌氏のシュタイナー理解の的確さを改めて思い知る。

 こうした20世紀当初におけるシュタイナーの社会への問題意識は、今日の日本や世界の社会状況への懸念と不安の奥底にあるものと同根・同定である。今を生きる私たちは、「資本主義的市場経済への道」と「社会主義的統制経済への道」とも異質な第三の道としてのオルタナティブな文明社会のあり方を見透すべき〝瀬戸際〟に来ているのだ。

 さらに高橋巌氏は……【この人間の尊厳への冒浣のつぐないをつけるには、社会を三分節化して、精神生活、法=国家生活、経済生活(生活という言葉でシユタイナーは社会のいとなみがすべて生命体の有機的活動なのだということを暗示している)に分けなければならない。・・(中略)・・この三分節化の立場に立って、社会人ひとりひとりが、生命本能から、ありうべからざるものを拒否し、必要なものを追求するための方法を提示する本書の全体は、社会理論というよりは、シュタイナーの悲痛な訴えから成り立っている、と思わずにはいられない。われわれは今、生理的ともいうべき社会感覚を身につけなければ、社会は限りなく悲惨な方向へ行ってしまう。】(p175)……との印象的な言葉を記しており、高橋氏自身の皮膚感覚の様にして備わる人生・社会への認識の深さ(=愛着)を想う。

 この高橋巌氏の言葉にあるごとく、本書は・・理論的に固定化された社会論としてではなく・・何よりも「シュタイナーの悲痛な訴え」として、個的な共感・共苦のうちに私たち自身の「生理的ともいうべき社会感覚」を培う論考として読み解くとき、初めてその本質的な意味・内容が視えてくる。

私にとって、高橋巌氏が語る「生理的ともいうべき社会感覚」とは…【私たちは、文明化された暮らしの、大荒れの大海原のまっただ中を生きています。・・(中略)・・この難事に満ちた大海原を、船を沈めずに生き抜き、いずことも知れぬ港に行き着くために推測航法しかないとしたら、人にはほとんど不可能な、とてつもない計算をしなければなりません。暮らしを簡素にし、問題を少なくしなければ、とっておきの勘も働かせようがありません。】〔『ウォールデン 森の生活(1854)』(2004/小学館刊)「第2章 どこで、なんのために暮らしたか」p114 -p116〕……と記すようにして、19世紀アメリカ・マサチューセッツ州のウォールデン池畔の森において、「とっておきの勘」を育む生活を暮らしたヘンリー・D・ソロー[註1]から感受する時代や社会への問題意識と共通・共感するものである。

[註1]ヘンリー・D・ソロー(1817-1862/アメリカ出身): マサチューセッツ州ウォールデン池畔の森の中に丸太小屋を建てて、二年余りの自給自足の生活を送る。『ウォールデン 森の生活(1854年)』は、その生活にもとづく記録的作品として今日でも読み継がれている。そこで披瀝・展開される言葉は、近・現代社会への秀逸な文明批評でもある。

その私自身の共通・共感は、むろん現代においてヘンリー・D・ソローのような「質素な生活」をおくるべきだなどという想いではなく・・文明・歴史的にも不可逆なことである・・自然・動植物と共にある地球生態系の内において、その偽らざる生命本能に依拠した「生理的ともいうべき社会感覚」(先述した高橋巌氏の言葉)への切実な憧憬である。

 そうした私自身の「生理的ともいうべき社会感覚」は……【僕が屋久島の廃村に入り、ここに自分たちの生き方を形づくろうと意図しているのは、もちろん現代文明のこのような方向ではないもうひとつの文化を、自分の内にもっと大切にしたいという自然の欲求からであった。・・(中略)・・現代文明が病んでいることは、多くの口が指摘するが、その否定に対する代案、オルタナティヴを提出する者は少ない。自身が文明の毒素に浸りながら毒だ毒だと言っても、それを消す新しい毒が発見されるくらいが落ちだからである。】〔『聖老人』(1981/めるくまーる社刊)「もうひとつの文化」p83-p84〕……との率直な語り口により、私が敬愛する山尾三省[註2]に𠮟咤激励されるようにして、単なる私的な憧憬から未来社会のオルタナティヴな可能性へと飛翔していく。

[註2]山尾三省(1938-2001/東京・神田出身): 1960年安保闘争の時代を経て「部族」と称するコミューン活動を起こしはじめ、1973年には家族と共に一年にわたるインド・ネパールの聖地巡礼への旅に出る。1977年になると屋久島の廃村(白川山-しらこやま)に家族と共に移住し、その村里で終生暮らし続ける中で、大地を耕し作物を育てながら自らの思索と信仰を育んでいった。その日々の暮らしに根ざした身近な言葉で綴られた詩文からは、アニミズム的な宗教性と故郷性(山尾三省自身の言葉)に溢れたオルタナティブな世界が立ち現れてくる。

 「資本主義的市場経済への道」と「社会主義的統制経済への道」とも異質な第三の道としての〈未来社会のオルタナティヴな可能性〉は、シュタイナーが模索・提起している〈社会有機体三分節化〉について、私たち自身が置かれている現代社会への真摯な状況認識・・シュタイナーの言う「状況瞑想」・・のもと、その〈社会有機体三分節化〉の意識化と具現化を目指す私たち自らの内に芽生え育っていくものだ。

 その〈オルタナティヴな可能性〉の萌芽は、最近になって色々な形で取り上げられている〈ベーシックインカム〉の実現について、シュタイナーが言う〈社会有機体三分節化〉の根幹をなすものとして・・現行〝社会保障制度〟の財源カットを目論むような単なる代替え措置としてではなく・・私たち自身の社会意識と今日の文明社会のあり方そのものを変容していく現実的な筋道として、本気で取り組むことで生まれるのではないだろうか。

 この「私たち自身の社会意識と今日の文明社会のあり方そのものを変容していく現実的な筋道」としての〈ベーシックインカム〉とは、私が考えるに端的に言えば「全ての人々の経済生活を保障する生計維持費の国家としての無条件給付」に他ならない。

 もちろん、その実現に向けて様々な異論・困難があることは重々承知の上なのだが、それ故にこそ、こうした〈ベーシックインカム〉が「私たち自身の社会意識と今日の文明社会のあり方そのものを変容」していく社会的な推進力(=梃子)として有機的に働くのだ。

石牟礼道子による……【一国の文明の解体と創成が、いま生まれつつある瞬間ではないかと思っています。絶滅と創成とが同時に来た。力関係でどちらに向いていくか。絶滅するにしても、一種、純情可憐な他者のことを思いやる心で結ばれていく部分を抱きながら、絶滅するならいっしょに絶滅してもいいなという気がします。純度の高い徳義みたいなものを抱きながら、心の手を取り合って死ぬことができたら、それもいいかなと。生命の世界も有限ですから。】〔『花の億土へ』(2014/藤原書店刊)「毒死列島/2011.7.9」p124〕……との言葉を想起したい。

 私にとって「私たち自身の社会意識と今日の文明社会のあり方そのものを変容」していく〈ベーシックインカム〉とは、ここで石牟礼道子が渾身の想いで語る「純度の高い徳義」の社会的な意識化であり具現化なのだ。こうした言い様は、あまりにロマンティック過ぎて社会論として非現実的との誹りを受けることだろう。

 しかし、私が「純度の高い徳義」として構想する〈ベーシックインカム〉は……【宇宙から見たら日本列島が見えたと、このごろ言っている。東京あたりにはあかりがいっぱいついている。それで日本列島だとわかるという。そういう日本ではなくて、一輪の花がぼうっと見えている草々の小径、その花あかりです。花であるような星であるような。人間の苦労を象徴するようなあかりです、人間というよりも生命です。生命たちの中の生命があかりになっている。重い荷を担いで、背中に乗せられて、ほのあかりの中、遠い遠いところへいく野道が見えている。 そういう闇です。真っ暗ではなくて。そういうのを見たいというのが私の希望です。】〔『花の億土へ』(2014/藤原書店刊)「花あかり/2011.9.19-10.9」p230〕……と石牟礼道子が語る「人間の苦労を象徴するようなあかり」であり、絶望の内にあっての社会的意志としの「希望」なのだ。

〜完〜

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