ルドルフ・シュタイナー『社会問題の核心』[13]〜諸民族の自由な精神生活の国際的共有

03.28.2019

  [社会有機体三分節化をめぐって]から

 

 ◉ はじめに/国際生活の必要性と社会の三分節化

 

《1》諸民族の自由な精神生活の国際的共有

 

【諸民族はその境界が民族社会の境界でもあるような国境を持った国家を建設しようと努めているが、この努力は閉鎖的民族国家を閉鎖的経済領域にしようとする努力をも生じさせている。世界経済の先に述べた傾向は、将来、このような民族利己主義に対抗する働きをするようになるであろう。】(「国際生活の必要性と社会の三分節化」p135-p136)

 

 このように記すシュタイナーには、現代世界において顕在化している世界経済の進展と閉鎖的民族衝動との相剋・軋轢の様相がその当時からはっきりと見えていたようだ。

 

 そのためシュタイナーは……【この対抗する働きが終わることのない紛争を生じさせることのないようにするためには、民族社会の中の精神文化の在り方を、経済関係から独立して管理し、そのような管理を通して国際関係を作り上げなければならない。】(「国際生活の必要性と社会の三分節化」p136)……として、世界経済の進展と閉鎖的民族衝動との相剋・軋轢を克服する展望を語る。

 

 ここでシュタイナーの言う「民族社会の中の精神文化の在り方を経済関係から独立して管理」するとは、諸民族の精神生活を独立した自由な精神史として感受し洞察することである。

 社会三分節化に基づく諸民族の自由な精神生活の国際的共有のもとで覇権的グローバリズムからも排外的エスノセントリズムの呪縛からも解放され、民族生活と国際生活が共に自主的・自立的に結び舫う可能性が育まれる。

 

 今福龍太〔註〕が……【そもそも「歴史」と呼ばれているものの底流には、「正史」が依拠するような「歴史的必然」のなかからは除外されてしまう、さまざまな偶然かつ偶発的な要素が渦巻くように流れていた。……と語りつつ……【「叛—歴史的な過程として「世界」を描くこと】『ジエロニモたちの方舟』(2015/岩波書店刊「序」所収)とは、文字としての「歴史的世界」に封じ込められた諸民族や人々の自由な精神生活の痕跡・胎動を神話的口承として聴き取ることなのだ。

 

〔註〕今福龍太(1955-): 文化人類学やラテンアメリカへの探求とともに、フィールドワークで出会う人々や自然との交流を通し、既存のアカデミズムの枠を越えて自由闊達に思索・発言する研究者・批評家。奄美自由大学の取り組み、あるいは、天草諸島へのアプローチなど、私にとっても意義深い活動を展開している。つい最近、『石牟礼道子さん一周忌〜映画上映&対談の集い』(2019.3.1/藤原書店主催)の場で、石牟礼道子を巡って吉増剛造との対談を聞いたが、吉増剛造らしい石牟礼道子の「テクスト解読」と共に、今福龍太の「石牟礼道子の夢」を興味深く聞いた。

 

 今の私は、南西諸島の「ニライカナイ」、原始神道の「常世(トコヨ)」、アイヌの「カムイモシリ」といった口承としての「神話的世界」の内に、列島日本において渦巻き底流する精神生活の痕跡・胎動を感受している。

 そこに秘められた心魂の深さの内に、諸民族や人々の自由な精神生活の国際的共有の始原と可能を見出すと共に、人類=地球生類として私たち託されている宇宙意識の在り方を想う。

 

 

〜続く〜

 

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