ルドルフ・シュタイナー『社会問題の核心』[2]〜生計目的の賃労働から精神生活としての労働へ

05.05.2017

 [まえがきと序論]から-2

 

《3》「商品としての賃労働」から「連携組織における報酬」へ

 

 シュタイナーは『社会問題の核心』(以下、本著と略す)の全体を通し、三分節化された社会有機体においては生計維持を目的とする賃金労働(者)は消滅し、あらゆる労働が本来の姿である精神生活として成立するとの展望を描いてみせる。近代資本主義社会に染まりきった私たちには、何か途方もない構想なのだが、シュタイナーの語調は確固たるイメージに基づいてる。

 

 私自身、シュタイナーの考える……社会主義的な生産手段の公有化によらない「賃金労働(者)の消滅」、あるいは、生計維持を目的としない「精神生活としての労働」というイメージがなかなか了解できず、本書を幾度なく読み返すとともに関連書籍を読むこととなった。ここでは、その辺りを巡って書き記すことにする。まずは、なぜ「賃金労働(者)の消滅」なのか……シュタイナー次のように述べる。

 

【連携組織には、「賃金労働者」は存在しない。賃金労働者の属する組合はみずからの力によって企業家からできるだけ高い賃金を要求するのであるが、連携組織の労働者は、企業家、消費者と一緒に働き、業績に応じた報酬を受ける。このことは組合における議会政治的な議決によっては生じない。】(「経済生活における連携組織」p-xxii-xxiii)

 

 つまり、近代資本主義社会における〈商品としての賃金労働〉から三分節された社会有機体における〈連携組織における報酬〉への転換が、「賃金労働(者)の消滅」なのである。では、この「連携組織」とはなにか……シュタイナーは次のように述べる。

 

【経済生活は国家制度からも、国家主義からも独立して、自分自身の力で発展しようとしている。しかしそうすることができるのは、消費者と流通業者と生産者の諸団体が、経済的観点に従って、国家から独立して、連携組織を形成するときのみである。】(「経済生活における連携組織」p-xxi)

【或る連携組織の内部では、専門知識や事実認識によって利害関係が包括的に調整される。法律が財の生産や循環や消費を規制するのではなく、個人やグループの直接的洞察や利害関係が、それらを規制する。連携組織生活の中で人びとが必要な洞察をもてるようにすることが大切なのである。】(「同上」 p-xxii)

 

 この「連携組織」をイメージするのもなかなか難しいが、自主管理に基づく生産組織として了解可能であり、柳宗悦が『柳宗悦選集-第3巻 工藝文化』(1954 /春秋社刊)次のように記している「ギルド」を想起させるものである。

 

【この組織(中世期のギルド)は三つの功德を有つたと思へる。之によつて相瓦補助の實を擧げた。彼等は團結して互を助けた。次には之によつて利益の配分が、ほぼ合理的になされた。之がため激しい貧の懸隔から彼等を救つた。さうして第三には工藝の各部門の綜合的連絡が成された。このことは凡ての工藝を有機的な統ーに導くに至った。組合の確立は材料の配給や、人員の統轄や、生產の過程や、品質の維持や、各部門の密接な連繫や、その標準の向上や、又価格の合理化や、その販売や、是等の統制を容易にし、又それを强固なものにさせた。】(「勞働と組織」p184-p185)

【だから共榮を旨とした秩序が崩れるや、工藝は之に伴つてー途に低落して行つた。この崩潰を導いたものは、手工藝に於いては問展の制度であり、機械工業に於いては商業主義による資本制度であつた。何れも個人の利益を主眼とし、共榮の理想を破るものであつた。個人主義は健全な工藝の普及を不可能にさせた。】(「同上」 p185-p186)

 

 こうした「中世期のギルド」をシュタイナーの言う「連携組織」と繋げることについて、時代錯誤の空想論として片付けてしまうのは、シュタイナーの語る社会有機体三分節化がイメージできないからであろう。この点については、また後の本著[本論]に入ってから触れることになると思うが、ここでは、ハーバート・リードの『アナキズムの哲学』(1968/法政大学出版局刊)における次のような指摘を紹介しておく。そして、「賃金労働(者)」を成立させた近代資本主義社会こそが、人間本来の経済生活のあり方を歪めている歴史的に特殊な経済制度であることも考えてみる必要があろう。

 

【アナキストは人間の唯一性を認め、人間が同胞との間で追求する共感と相互扶助を限度として組織を許容する。そこで現にアナキストは、社会契約の代わりに機能契約を提起し、契約の権威は特定の機能の遂行にだけ限られる。政治的一元論者もしくは権威主義者は、画一性を強要する組織体として社会をとらえる。アナキストにとって、社会とは諸集団の均衡ないしは調和である。そして、われわれのほとんどは一つあるいはそれ以上の集団に属している。唯一の困難は相互関係の調和である。】(「アナーキズムの逆説(1941)」p166)

【現代を離れて、たとえば中世へ行ってみると、そこには不完全ながら、機能的な社会組織が可能なことを示す実例がみられる。その漸進的な完成は資本主義の勃興のために妨げられたのだ。クロポトキンが示したように、他の時代、他の社会形態もまた、機能集団間の相関関係の調和が可能であることを、十分に確証している。】(「同上」 p167)

 

《4》三分節化された社会有機体における「精神生活としての労働」

 

 シュタイナーが構想する社会有機体三分節化のもとでは、「賃金労働(者)の消滅」ということが、労働力商品の市場的対価としての「賃金」から、労働成果の業績的対価としての「報酬」への転換のみを意味しているわけではない。これのみであるならば、ある意味、今ふうの業績主義・能力主義に堕してしまう。

 

 シュタイナーの語る「賃金労働(者)の消滅」とは、同時に、生計維持を目的とする“労働”そのものの変容であり、人間本来の労働のあるべき姿としての「精神生活としての労働」への根柢的な転換を意味している。ここに、シュタイナーの人間的労働に関する深い洞察力、そして、その社会論の独自性と普遍性が秘められている。シュタイナーは本著[本論]を前にして次のように記し、このことを示唆している。

 

【人間と人間、連携組織と連携組織の関係は、労働の傍らで形成され、その形成によって、労働する者の意欲も消費する者の利益も保障される。】(「経済生活における連携組織」p-xxiii)

【このような連携共同体を求めようとする衝動は、人間本性が国家の干渉を受けない限り、おのずと生じてくる。他方、自由な精神生活もそこに結びつこうとする。なぜなら自由な精神生活は、このような共同体の中で役に立ちたいと願うからである。】(「同上」 p-xxiii)

【精神生活が自由であれば、その精神生活固有の力を有効に働かせることができる。そして、連携的に形成された経済組織であれば、連携組織の中で経済価値を有効に働かせることができる。経済生活の中で個人がしなければならないことは、経済的に連携している人たちとの共同生活から生じてくる。それによって、自分の仕事に見合った仕方で、経済生活に関与する。】(「精神生活と経済生活の連携」p-xxv)

 

 以上の論述だけでは、「精神生活としての労働」というイメージは掴みづらいし、[本論]においても詳しくは論じられていないが、私の理解は……三分節化された社会有機体における「自由な精神生活」のもとでは、人間本来の社会意志(共同体の中で役立ちたい)として、自ずと連携組織における労働への衝動・意欲が芽生える……という意味での「精神生活としての労働」ということだ。むろん、ここでの「精神生活としての労働」に、業種・職種等による差異はない。

 

 このような「精神生活としての労働」という構想に対しては……生計目的(生活のための収入確保)の労働も「精神生活」なのかという疑問(生計維持という経済生活そのものでないか?)、そして、労働への衝動・意欲を人間本来の社会意志として見ることへの疑問(人間は元来、社会(他者)の為に働く意欲などないのではないか?)……といぶかる声が、シュタイナー当時より今日まで連綿と続く。

 

 第一の疑問については……シュタイナーの構想する三分節化された社会有機体のもとにおいて、生活のための収入は社会的・公共的に等しく保障される(いわゆる「ベーシックインカム」)……ものとして私は理解する。その結果、労働成果に対して得られる「報酬」が経済過程で担う役割自体、生計維持を主目的とする「賃金」とは異なる性格を持つことになるであろう。つまり、「報酬」として得られる貨幣は、生計のための生活財購入のための決済を担うことよりも、主として、新たな経済活動に備えての投資や融資を担い、さらには、社会的相互扶助としての贈与を担うことになろう。

 

 第二の疑問は難関であり、私自身、今でもそうした想いにしばしば陥る。しかし、そうした囚われにある時……「精神生活としての労働」という構想自体が、実は、自由な精神生活によって育まれる人間本来の「社会意志」の発露なのであり、その「社会意志」を支えているのは、シュタイナーの霊性論による「叡智」や「意志」なのだ……という気付きに救われている。こうした気付きに対して、『シュタイナーの言葉』(高橋訳、飯塚編/2014/春秋社刊)に紹介されている次のような言葉は、私への励ましとなる。

 

【現代の課題は、各人がみずからの内なる衝動から全体のために働くようになることなのである。どんな時代にも妥当するような社会問題の解決法を探したりする必要はないのだ。ただ自分の生きている今の時代の直接的な必要だけをふまえて、社会的に思考し、活動すればいい。(中略)精神をふるい立たせる世界観をもたない限り、物質上の豊かさを促してくれる諸制度であればあるほど、その中で生きる人は誰でも利己主義を強めざるをえない。そしてその結果、次第に困窮、不幸、貧困が生み出される。】(「第二のからだのためにはたらく」 p259-p260)

 

 

〜続く〜

 

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