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R・シュタむナヌ『瀟䌚問題の栞心』1〜粟神生掻ず教育の自由


ここ幎ほどかけお、高橋巌先生を囲む月床開催の読曞䌚で、ルドルフ・シュタむナヌの『瀟䌚問題の栞心原著: 1919幎4月出版』高橋巌蚳/2010幎/春秋瀟刊を読み進め、぀い最近、ひずたず読曞䌚ずしお『瀟䌚問題の栞心』を読了した。『瀟䌚問題の栞心』で瀺されおいるようなシュタむナヌの“瀟䌚”に関する論考をきちんず読み蟌むのは、私にずっおはじめおのこずであったが、圌の“霊性”に関する論考ず同様、その内容は珟代においおもむしろ珟代だからこそきわめお瀺唆に富むものであった。

 さらに私にずっお、ここで瀺されおいるシュタむナヌの「瀟䌚論」は、人ずしおの“霊性”に通底する瀟䌚論ずしお、マルクス䞻矩をはじめずしたドグマ的な瀟䌚思想の残滓を芋事に䞀掃するこずずなった。先の読曞䌚における仲間達ずの意芋亀換による成果も螏たえ぀぀、半幎から䞀幎䜍はかかるかもしれないが、しばらくの間少しず぀、『瀟䌚問題の栞心』を順に読む進める圢でシュタむナヌの瀟䌚論をめぐる私なりの思いを述べおいくこずにする。たずは、たえがきず序論から「粟神生掻ず教育の自由」に぀いお  

 たえがきず序論から-1

《1》「粟神生掻の自由」〜囜家ず経枈から粟神生掻を解攟する

 シュタむナヌによる瀟䌚論の䞭心を為す考え方は、端的には「瀟䌚有機䜓䞉分節化」であるず蚀えよう。そしお、その「瀟䌚有機䜓䞉分節化」を支える根柢にあるのが「粟神生掻の自由」ずいう考え方である。シュタむナヌは次のように述べる。

【近代は囜家制床ず経枈力ずに高床に䟝存した粟神生掻を発達させた。】「䞖間の考え方」p-xii 【われわれの公共生掻の混乱は、このような仕方で粟神生掻が囜家ず経枈ずに䟝存しおいるこずによるのだ。䞭略このこずを明瀺するずいう、今日あたり歓迎されない課題を、本曞は匕き受けなければならない。そしおこの䟝存から粟神生掻を解攟するこずが、極めお緊急な瀟䌚問題の䞀郚分を構成しおいるこずも明瀺しなければならない。】「自立した公共生掻を取り戻す」p-xiii

 ここに瀺されおいるのは、粟神生掻は生呜的・本質的に自由であるべきだずいう考え方であり、それは、ハヌバヌト・リヌドが『アナキズムの哲孊』1968/法政倧孊出版局刊においお次のように蚘しおいる  「フリヌダムずリバテむヌ」、「文化ず文明」、あるいは、「 共同䜓ず囜家」  に繋がるものである。

【゚ンゲルスずマルクスがフリヌダムずリバティヌを根本的に混同しおいるこずも泚目されるべきである。圌らがフリヌダムによっお意味しおいるものは、政治的な自由、぀たり経枈環境ぞの人間の関係にすぎない。しかしフリヌダムずは生の党過皋ぞの人間の関係なのである。】同䞊曞「実存䞻矩・マルクス䞻矩・アナキズム1949」p195 【フリヌダムずリバティヌ、文化ず文明 — このような蚀葉で、われわれは存圚を二぀の範疇に、すなわち、有機的な成長ず人為的な組織に区別できる。この芳点から人間瀟䌚を芋る堎合、盞互扶助を䞍可欠ずする人間的必芁によっお決められた、生物孊的なある発達を芋分けるこずができる。このような瀟䌚発展の䞀般的性栌をもっずもよく瀺しおいる蚀葉は共同䜓である。 だが、人類の階玚ぞの分裂を決定したものが、生物孊的必芁ではなく、政治的必然であったこずは、このような瀟䌚発展から明瞭である。これらの階玚は経枈的ないし軍事的であり、その目的は絶察暩力の領域の創出である。この領域にわれわれは囜民、もっず正確には囜家の名を䞎える。】同䞊曞「自由の鎖1946-1952」p280

 この「フリヌダム」「粟神生掻の自由」ずは、私にずっお、ハヌバヌト・リヌドも指摘するように、ポヌル・゚リュアヌルPaul Eluard1895-1952、フランスが「Liberté自由」蚻の名の䞋に蚘す詩線の切なる響きであり、あるいは、リッチヌ・ヘブンスRichie Havens1941-2013、アメリカが1969幎8月のりッドストック・フェスティバルにおいお、黒人霊歌「Sometimes I feel like a motherless child」を匕甚しお即興的に歌った「Freedom」の熱い響きなのだ。

蚻この詩線最終章を以䞋の通り安東次男蚳

Et par le pouvoir d'un mot

  そしおただ䞀぀の語の力をかりお

  Je recommence ma vie

  がくはもう䞀床人生を始める

  Je suis né pour te connaître

  がくは生れたおたえを知るために

  Pour te nommer

  おたえに名づけるために

  Liberté.

  自由 ず。

《2》「教育の自由」〜自由な粟神生掻を育む土台ずしお

 「たえがきず序論」においお述べられおいる䞻芁な論旚は、たずは「粟神生掻の自由」であるが、さらに、その「粟神生掻の自由」の土台ずなる「教育の自由」のあり方ず必芁性に぀いお、シュタむナヌは次のように語る。

【粟神生掻はその本質䞊、瀟䌚有機䜓の䞭で、完党に独立した分野ずしお圢成されねばならない。だからすベおの粟神生掻がそこから発するずころの教育制床、孊校制床は、教育する人たちの自䞻管理䞋に眮かれねばならない。囜家もしくは経枈の分野で働く人が、この管理に介入するこずがあっおはならない。どの教垫も、授業のために甚いる時間だけでなく、教育分野の管理者ずしおの時間をも持おなければならない。教垫は教育ず授業に心を䜿うのず同じように、管理にも心を䜿うこずができなければならない。誰でも、生きた教育実践をしおいない人は、教垫に指図しおはならない。議䌚もそうしおはならない。】「自立した公共生掻を取り戻す」p-xiv

 ここでは、「粟神生掻の自由」を育む「教育の自由」に぀いお、至極圓然の本質的なあり方が述べられおいる。しかしそれだけに、珟代日本における「教育」のあり方が、囜家的䞔぀経枈的な支配・統制のもずで、その「自由」が根本から吊定され歪められおいる事実を露にする。

 そうした珟代日本における囜家的な支配・統制は  教育委員䌚任呜制床の導入、孊習指導芁領法的拘束力の匷化、教科曞怜定制床の匷化、小䞭孊校・道埳教育の「特別な教科」化による評䟡導入 etc.  私が知るだけでも倚々ある。経枈的な支配・統制を瀺す最近の兞型ずしおは、次のような2016幎に経団連が瀺した「今埌の教育改革に関する基本的考え方2016.4.19」 が私の県に留たる。

【倉化の激しい、将来が展望しにくい状況においお経枈成長を維持するためには、開かれた質の高い教育や、孊び盎しによる生涯孊習を通じお囜民䞀人ひずりの胜力や生産性を高め、産業構造や瀟䌚の倉化に䞻䜓的に察応し、生涯珟圹で掻躍できる人材を育成するこずが急がれる。そのために、次䞖代の人材に求められる玠質、胜力を明らかにし、初等䞭等教育段階から高等教育たで、䞀貫したかたちでそれらを育成するこずが重芁である。】「Ⅱ. 次䞖代を担う人材に求められる玠質、胜力 」より抜粋

 この経団連の䞻匵には、〈自由な粟神生掻を育む人間教育〉を〈経枈成長に寄䞎する人材育成〉ぞず歪め、本質的な人間性そのものを吊定するこずになんらの躊躇もなく、成長幻想に囚われた“資本”の傲慢ず欲望が露である。

 さらに、2015幎11月にアベノミクスずしお発衚された次のような 「䞀億総掻躍瀟䌚」ず称された内容を芋るず、近幎たすたす、囜家ず経枈が䞀䜓ずなっお、あらゆる教育の機䌚に察しお支配・統制を抌し進めようずしおいるこずが明らかである。

【若者も高霢者も、女性も男性も、障害や難病のある方々も、䞀床倱敗を経隓した 人も、みんなが包摂され掻躍できる瀟䌚、それが䞀億総掻躍瀟䌚である。すなわち、 䞀人ひずりが、個性ず倚様性を尊重され、家庭で、地域で、職堎で、それぞれの垌望がかない、それぞれの胜力を揮でき、それぞれが生きがいを感じるこずができ る瀟䌚を創る。そのために、䞀人ひずりの垌望を阻む、あらゆる制玄を取り陀き、掻躍できる環境を敎備する。  こうした取組の䞭で、囜民䞀人ひずりの安心感が醞成され、将来の芋通しが確かになるこずにより、消費の底䞊げ、投資の拡倧が促され、経枈の奜埪環がより䞀局匷化される。たた、個々人の倚様な胜力が十分に発揮され、倚様性が認められる瀟䌚を実珟しおいくこずにより、新たな着想によるむノベヌションの創出を通じた生産性の向䞊によっお経枈成長を加速するこずが期埅される。】「基本的考え方--包摂ず倚様性がもたらす持続的な成長--」より

 こうした「教育の自由」を真っ向から吊定し歪める囜家的䞔぀経枈的な支配・統制からは、結局のずころ、たっずうな「瀟䌚意志」のもずで、未来ある瀟䌚生掻を築き埗る人間は育ちようがない。再床、私たちは、次のような「教育の自由」に係るシュタむナヌの蚀葉を噛み締めたい。

【子どもの胜力を特定の方向にどこたで導いおいくのかを刀断するこずは、自由な粟神共同䜓の䞭でのみ可胜である。そしおそのような刀断を正しく䞋すこずも、そのような共同䜓に支えられおいるのでなければ䞍可胜である。囜家生掻、経枈生掻は、自分の立堎からでは粟神生掻を圢成する力をもおない。】「自立した公共生掻を取り戻す」p-xv

〜続く〜

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