「ヤポネシア」再考〜群島-日本のCRÉOLITÉへの眼差し

08.15.2016

 私は、作家としての島尾敏雄(1917-1986)は縁遠く、むしろ、彼の妻である島尾ミホ(1919-2007)の独特のイメージ溢れる文章や語り口に惹かれるのだが、1960年代当初の島尾敏雄による発語としての「ヤポネシア」という言葉には、最近強く引き寄せられている。

 

 彼の「ヤポネシア」との発語には……学生時代に学んだ「東洋史」、戦中の加計呂麻島における“特攻待機”、戦後の奄美大島における生活、父母が東北・福島県の小高出身であること、そして、加計呂麻島の“ノロ”の家系に生まれた島尾ミホ(大平ミホ)との出会いと暮らし……といった背景とともに・・【日本という名前がついているのに、どうしてヤポネシアで呼びたいのかと言いますと、わたしは、「もう一つの日本」というようなことを考えたいからです。……(中略)……お隣の大陸も世界の中心の国だという意識があって、自分の国を「中国」としているようですが、日本という漢字の組み合わせもやはり大陸を意識し、太陽の中心だという、非常に緊張した状態があって、「日の本」だというふうにつけているような気がします。】(『ヤポネシア序説(創樹社刊、1977)』p47「ヤポネシアと琉球弧」より)・・と語るように、島尾敏雄自身の存在的欲求のようなものを感じる。「ヤポネシア」という意味合いには、事実としての歴史社会の次元とは異なる位相として、島尾敏雄の文学的な直感とでも言える力が働いている。

 

 【専門の学者たちがいろいろ研究してはっきりしないのに、私が素人考えで解決を与えるということではありませんが、奄美についてちょっとこういうことを感じているのですが、それは、日本文化の素性を考える時にあまりに大陸のことを意識しすぎているのではなかろうか。つまり中国とかインドとかそういうところの影響を強く考えすぎている。地図を見てもわかりますが、日本は島国であることから逃れることはできません。島国というのは海にかこまれています。太平洋は、非常に広い海洋であって、その中にはいろいろな島があります。ことに南太平洋の方に島が多いのですが、その島々に住む人たちの生活は、おたがいに似かよった性質を持っているのではないかと考えます。日本もそのひとつではないか。南太平洋にはポリネシア、ミクロネシア、メラネシア、インドネシアの島々がありますが、それと同じように、南太平洋のひとつの島々のかたまりとして私は、日本列島があるのだという気がするのです。それで、自分でヤポネシアという名前をつけてみました。】(同上書p25「私の見た奄美」より)・・などとして島尾敏雄によって語られた「ヤポネシア」は、その後、社会的・政治的、そして、学問的分野までに波及していった。

 

 今にして私がその「ヤポネシア」に引き寄せられるのは、東日本大震災の復興のあり様と川内や伊方での原発再稼働、辺野古基地と高江周辺のヘリパッドの建設強行、さらには、今年4月の熊本地震の救援・復興のあり様でも露となった……群島-日本における“中央”による東北・北方や南島・南方に対する棄民と収奪……を、私自身の悔恨と痛みと共に見るからである。

 

 この〈中央〉と〈東北・北方や南島・南方〉について、島尾敏雄は・・【ところで多様性を持ったいろいろな地方の中でもことに強く独自性を持った地方が琉球弧であり東北ではないかというのがわたしの考えですが、……(中略)……そうすると、日本という国は三つの弧を合わせたところの上に成り立って、そこに住む人たちは、同じことばを使い、同じ生活文化を持ち、いわばひとつの民族と言ってもいいようなものになっていると思うんですけれども、その歴史の展開の仕方に、ある片寄りを持っていたのではないかということに気づいたのです。つまり日本という国の、国はじめから現在に至るまで、政治の中心的な舞台になったところは九州から関東までではないかと言うことです。……(中略)……で、琉球弧と東北はその区域の圏外にあって一般的な日本のイメージの外がわに置かれているのではないかと思われるのです。】(同上書p50-p51「ヤポネシアと琉球弧」より)・・と語っている。

 

 今の私は、赤坂憲雄(民俗学者、1953-)や瀬川拓郎(考古学者・アイヌ研究者、1958-)らから学ぶことが多々ある。そうした近年の蝦夷(東北)やアイヌ(北海道)に関する学的成果からすれば、上記のような島尾敏雄の〈東北・北方〉に関する言及の物足りなさは指摘できてしまうが、彼の言う「ヤポネシア」は、“中央”として展開され続けている日本の歴史社会を相対化する眼差しとして、今日においても大きな意味を有する。

 

 島尾敏雄の唱えた「ヤポネシア」に関連して・・【日本の列島社会を単系列の時間ではかるほど不当なことはないにもかかわらず、日本ほどそれを無反省に濫用し、強行した国家も少なくない。日本人のこうした傾向は、ヨー口ッパやアメリカの意識の尺度で日本をはかる態度に拍車をかけた。すなわち、日本人の意識にはつねに「ポリ」ネシアのかわりに「モノ」ネシアが、また「ミクロ」ネシアのかわりに「マクロ」ネシアが存在したのである。モノカルチュアのマクロな世界とは、要するに大陸国家の特徴なのであるが、「ネシア」に育った日本人には、つねに大陸とか大国とかへのあこがれを捨てることができず、今日でもふっきれないでいる。この「モノ」や「マクロ」な意識の尺度は、多系列の時間と意識とが複合的に重層化している日本列島社会をはかるのに、最も実状にそぐわない方法なのだ。】(同上書p62-p63「〈ヤポネシア〉とは何か」より)・・と、1970年に谷川健一(1921-2013)が喝破した事態は、今なお私たちの日本と私たち自身を浸食し続けているのだ。

 

 その谷川健一が・・【私たちは、ナショナリズムを脱しインターナショナルな視点をもとうとすれば、単系列の時間につながる歴史空間であるところの「日本」を否定するしかなく、「日本」を肯定するとなれば、単系列の時間の中に組みこまれるほかない道を歩まされてきた。「日本」に埋められるか「脱日本」のどちらかしかない二者択一の道をえらばされた。けれどもヤポネシアは、日本脱出も日本埋没をも拒否する第三の道として登場する。日本にあってしかもインターナショナルな視点をとることが可能なのは、外国直輸入の思想を手段とすることによってではない。ナショナルなものの中にナショナリズムを破裂させる因子を発見することである。それはどうして可能か。日本列島社会に対する認識を、同質均等の歴史空間である日本から、異質不均等の歴史空間であるヤポネシアへと転換させることによって、つまり「日本」をヤポネシア化することで、それは可能なのだ。】(同上書p61-p62「〈ヤポネシア〉とは何か」より)・・と記した言葉からは、私自身が沖縄諸島や奄美大島への旅で抱いた“懐かしさ”の本当の意味が視えてくる。

 

 この“懐かしさ”は、単なるノスタルジアではないし、且つ、そうであってはならない。その内奥には、「日本脱出も日本埋没をも拒否する第三の道」への可能性が孕まれているとともに、島尾敏雄が・・【日本の中には、ある固さがあると、私は感じます。なにか「こつん」と固いものがる。日本人全体に硬化したものがあって、それはどうも日本人というものを狭くしているようです。そういう「固さ」が南に来ると、あまり感じられない。南島に住んでいる人たちに接してみて、やわらかな、なにかを感ずるわけです。うまく説明できません。島には「ナツカシャ」という言葉があります。それは日本本土で使われている「なつかしい」という言葉よりも意味が深いと思います。】((同上書p15「私の見た奄美」より)・・と語る「ナツカシャ」へと響き合う心魂があるのだ[1]

 

[1]この「ナツカシャ」の“やわらかさ”を想うとき、私には、ふと、今年出会えた飛鳥時代の「半跏思惟像」(奈良中宮寺門跡蔵/於: 東京国立博物館「ほほえみの御仏」展)、そして、奄美の唄者「里栄吉」(映像『島の唄』(伊藤憲監督)/於: 東京国立近代美術館「吉増剛造」展)が立ち現れてくる。。。。

 

 そして、この「ナツカシャ」とは・・【ヤポネシアの成立する理由のひとつとして、日本列島社会が、世界の国ぐにの中でも面積の割には最も長い緯度のあいだに散在していることがあげられる。チリのように陸つづきでなく、島嶼として存在することでいっそう文化の同質均等化から免かれているところに特徴がある。ヤポネシアの概念が成立する理由の第二は、日本列島社会に古いものと新しいものとの混在が幾重層にもみられることだ。一々例証をあげることははぶくが、日本の近代に中世や古代が雑居している現象をみることは、けっしてめずらしいことではない。そしてこうした現象は、儒教やキリスト教でローラーをかけられた国では例外に属する事柄なのである。支配者の統一原理としての文化概念が極度に不寛容な形で貫徹されるということは、日本列島社会には存在しなかった。すなわち、支配者の統一原理がときには神道であり、仏教であり、儒教でありして、しかもそれらが他を全面否定することはなかった。】(同上書p62「〈ヤポネシア〉とは何か」より)・・と谷川健一が記すような、古来から多様な人々(民族)・物資(交易品)・生活様式(文化)が流入・往来し、混在・混淆する「ヤポネシア」としての群島-日本の感受と覚醒に他ならない。

 

 「ナツカシャ」をも想起させる「ヤポネシア」は、島尾敏雄の「もう一つの日本」や赤坂憲雄の「いくつもの日本」への眼差しであるとともに、世界史的には、かつて私が[ジャック・クルシル〜抵抗と慈悲として谺するCREOLIZATION(クレオール化)]と題して本ブログで触れた「créolité(クレオール性)」や「creolization(クレオール化)」[2]と共鳴・恊働するものであり、ポストコロニアリズムにおけるオルタナティブな視座として、今再び私たち一人一人が、素直に感受し真摯に捉え直すべき“課題”である。

 

[2]「私は。。ジャック・クルシルの演奏に接し、現代における音楽表現のあり方=[抵抗と慈悲としての音律]とともに、現代世界経済・社会・文化の全面おいて破壊的・破滅的に席巻するグローバル化(mondialisation/globalization)のオルタナティブなカウンターカルチャーとして、クレオール化(creolization)やクレオール性(créolité)というものが内包するポストコロニアリズム(post-colonialisme)の「全−世界」的なあり方=[抵抗と慈悲としての関係]を想う。」・・などと記した。

 

 

『creolizationからヤポネシア再考へ』

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