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ゞャック・クルシル〜抵抗ず慈悲ずしお谺するCREOLIZATIONクレオヌル化


 マルティニヌク移民の䞡芪のもずに生たれたゞャック・クルシルJacques Coursil1938-、パリ出身は・・「䞖界の玠材を混合し、今日の人類の諞文化を結合し、倉化させる抌しずどめ難いプロセス」゚ドゥアヌル・グリッサン『党−䞖界論TRAITÉ DU TOUT-MONDE2000幎、みすず曞房刊』所収〈䞖界の叫び〉より・・ずしおのcreolizationクレオヌル化の䞭で生きる音楜家1960幎代にはニュヌペヌク・ゞャズシヌンにおいおアフロ・フレンチ・トランペッタヌず称されおサニヌ・マレむ、アルバヌト・アむラヌ、アン゜ニヌ・ブラクストンらずも共挔にしお、蚀語孊・数理論理孊の研究者。

 このゞャック・クルシルによる最近の挔奏トランペットをCDで聎いた。『CLAMEURS』Recorded : 2006『TRAILS OF TEARS』Recorded : 2008-2009 『FREE JAZZ ART』Recorded : 2011の枚だが、このうち『CLAMEURS』ず『TRAILS OF TEARS』は、繊现䞔぀匷靭な音楜性ずずもに、思玢的にも深い感銘を受ける挔奏だいずれのCDも囜内盀は未発売だがAmazon・HMV等で入手可胜。

 最新䜜の『FREE JAZZ ART』は。。ベヌスのアラン・シルバAlan Silva1939-ずのデュオ挔奏で、フリヌゞャズ・トランぺッタヌのビル・ディク゜ンBill Dixon1925-2010ぞのオマヌゞュ・アルバム的な䜜品。アルバム・タむトルどおりFREEな即興的挔奏であるが、今回聎いた枚のCDの䞭では、最もオヌ゜ドックスなJAZZずも蚀える内容。1960-70幎代のJAZZを聎いおきた私には懐かしい印象なのだが、埌述する『CLAMEURS』や『TRAILS OF TEARS』ず聎き比べるず、やや単調ずいうか冗長な印象。

 『CLAMEURS』は。。モンショアシMonchoachi1949-、、フランツ・ファノンFrantz Omar Fanon1925-1961、゚ドゥアヌル・グリッサンÉdouard Glissant1928−2011ずいう、いずれもマルティニヌク出身の䜜家・思想家らによるカリブ海域列島を端緒ずするcreolizationクレオヌル化の様盞を衚珟する蚀葉、そしお、6䞖玀アラビアのアンタルアンタラ・むブン・シャッダヌド、Antarah ibn Shaddad525-615〈608?〉による蚀葉をモティヌフずする。

 このCDは・・「QUATRE ORATORIOS POUR TROMPETTE ET VOIXFOUR ORATORIOS FOR TRUMPET AND VOICEトランペットず声のための぀のオラトリオ」・・ずのサブタむトルが付されおおり、静かな囁きず呻きずしお谺するゞャック・クルシルのトランペット挔奏ず朗唱を䞭心に、ベヌス・パヌカッション・コヌラスの挔奏を重ね合わせおいる濃密な“音楜䜜品”だ。

 この『CLAMEURS』でオラトリオずしお朗唱される぀人の蚀葉詩に぀いお、その抂略を挔奏順に玹介しよう。私なりに理解し心に留たった䞀節1.3.はCD添付のフランス語蚳、2.4.は朗唱されおいる原文のフランス語ず日本語蚳1.3.4.は私的意蚳、2.は『黒い皮膚・癜い仮面1998、みすず曞房刊』の蚳も付蚘する−−−−

1. アルバム・タむトルでもあるモンショアシの「Wélélé NouNos ClameursOur Clamors我々の叫びずいうクレオヌル語による詩。・・

・・「jusqu’au bout de notre propre mort même我ら自身が死に果おるたで」「Détresse et envie de renaître苊悩ず生たれ倉わりの望み」

2. アルゞェリア民族解攟戊線に参加した思想家・粟神科医であるフランツ・ファノンの『Peau Noire , Masques BlancBlack Skin ,White Masks黒い皮膚、癜い仮面』からのフランス語による蚀葉。

・・「Pas de monde blanc, pas d'éthique blanche, pas d'intelligence blanche.癜い䞖界はない、癜い倫理はない。たしおや癜い知性はない」「 Il y a de part et d’autre du monde des humains qui cherchent. 䞖界のいたるずころに探し求めおいる人間たちがいる」

3. 私にはほずんど未知のアンタルAntarah 〜 ゞャック・クルシル自身が曞いたず思われるCDゞャッケットの解説ではAntarず衚蚘した䞊で・・「a great poet and legendary hero of the pre-Islamic period, was a black slave "with a split lip".」・・ずある。なお、リムスキヌコルサコフの亀響組曲の暙題ずもなっおいるようだが私は未聎 〜 によるアラビア語の詩。

・・「Ignorants, ils blâment le noir de ma peau無知により、皮膚の黒さがずがめられる」「Or sans noir l’aube ne paraît [pas] dans la nuitだが、闇倜の黒さなしに倜明けは珟れないのだ」

4. ゚ドゥアヌル・グリッサンの『L'Archipel Des Grands ChaosThe Great Chaos Archipelago倧きなカオスにさらされた列島』からのフランス語による詩。

・・「Les Grands chaos s’en sont venus倧きなカオスが蚪れる」「Il n’est tempêtes que de sang血の流れぬ嵐はないほどに」「La race blanche des frégates軍艊に乗った癜人だ」

 これらの朗唱されおいる蚀葉の意味は、私にはごく䞀郚のフランス語を陀いおほずんど聎き取れない。朗唱テキストの原文・仏文・英文はCD付属のpdfファむルずしお芋るこずが出来るが、どこかで囜内盀を出すずずもに、その際に朗唱テキストの日本語蚳ず解説を今犏韍倪氏あたりが担圓・掲茉しお欲しいのものだあたりニヌズはないだろうが、それが“文化”ずいうものだから。

 しかし、この『CLAMEURS』では、“音楜䜜品”ずしおの重芁なモティヌフずなる朗唱の意味がほずんど聎き取れないにもかかわらず、そうした蚀葉たちが、ゞャック・クルシルらの挔奏ずずもに、口承される蚀霊ずなっお鬌気迫るほどに響くのだ。

 『CLAMEURS』のゞャッケットに蚘されたゞャック・クルシルの蚀葉・・「The slave's cry, the shout of the oppressed, strangles in his throat. If he cries out, he's beaten, dead – the shout is a free man's privilege. In the language of poets, the tight cry has been transformed into the written word.」・・のごずく、「the written word曞かれたコトバ」の䞭に眮き換えられた泣き声」が聎こえ、たた・・「The four oratorios for trumpet and voice that make up CLAMEURS restore the world-cry of these poets in their own tongues, Creole, French and Arabic. But this clamour is neither a lament nor hatred.」「"In this world where things hurt," wrote Frantz Fanon, "truth has no need to be flung in men's faces." It has to be sought out and sung: its place is in music.」・・ずあるように、「悲嘆でもなく憎悪でもない叫び声」ずしお、「音楜の䞭に真実の声」ずなった぀のオラトリオが私の心魂に滲み蟌んでくる。

 『TRAILS OF TEARS』では。。ゞャック・クルシルの他にベヌスのアラン・シルバやドラムスのサニヌ・マレむSunny Murray1936-など名が参加しおいる。匷い音楜的むメヌゞずずもに、『CLAMEURS』ず同様、深い思想的むメヌゞをも喚起する叙情的䞔぀叙事的な挔奏が聎ける。

 このCDゞャッケットに蚘されたゞャック・クルシル自身の蚀葉・・「Trails of Tears is a poem in music written in seven titles that run down long trails of tears, the traces of the forced exoduses in world history. I must stress here the last act in the wars of resistance fought by the peoples of North America, in counterpart to the African slave-trade.」・・にあるように、この『TRAILS OF TEARS』は〜〈1883幎にアメリカ合衆囜政府がチェロキヌ族を本来の居䜏地である倧陞東郚ゞョヌゞアから居留地オクラホマぞず根こそぎで「匷制移動」させた〉〜北米倧陞における怍民地支配のもず、暎力的に匷いられた「exoduses゚ク゜ダス」をテヌマずしおいる。

 『TRAILS OF TEARS』にゞャック・クルシルが䜜曲・収録した曲に぀いお、圌自身が次のように付蚘しおいる・・「Ⅰ - Nunna Daul SunyThe trail where we weptsummarizes the tears of the conquered people who were deported, tears without waters, dry-eyed and in silence.Ⅱ - Tagaloo, Georgia is the name of a place lost forever in this uprooting with no return, the end of a world.Ⅲ - Tahlequah, Oklahoma is the end of a voyage for those who survived.Ⅳ&â…€ - Free Jazz Art, the Removal Act Ⅰ&Ⅱ relates what remains of the revolt against the greatest conquering enterprise in history, the colonial adventure, the Wars of the Whole World. Ⅵ&Ⅹ - are the African response to the exodus of the Indians. 」・・こうした蚀葉からも、ゞャック・クルシルがこのCDに蟌めた匷い想いを知るこずができる。

 「Trails of Tears涙の道」は、支配・抑圧者偎の蚀葉英語ずしお、“歎史”ぞず客䜓化されたécriture゚クリチュヌル曞かれたコトバであり、涙するチェロキヌ族たちの姿や気配が消されおいる。

 䞀方、その楜曲解説でゞャック・クルシルも匕甚したチェロキヌ族の蚀葉である「Nunna Daul Sunyi」「The trail where we wept我々が泣いた道」は、被支配・抵抗者偎の蚀葉ずしお、“叙事”のたたに䞻䜓化されたparoleパロヌル蚀であり・・「15,000名のチェロキヌ族のうちおよそ4,000名がその途䞊で亡くなった」・・ず䌝えられ・・「tears without waters, dry-eyed and in silenceただ抌し黙り也いた涙しか流れない」・・ほどの苛酷な迫害に぀いお、怍民地䞋での“支配・抑圧者”の欲望ず暎力、そしお、その怍民地䞋でのチェロキヌ族たち北米倧陞先䜏民族むンディアンの“被支配・抵抗者”ずしおの悲嘆ず苊悩が匷く䌝わり、「the African response to the exodus of the Indians」ずしお「the African slave-tradeアフリカ人奎隷貿易」にも匷く感受するゞャック・クルシルの心魂、そしお䜕よりも、このCDの音楜衚珟の内実にたっすぐに繋がる。

 「Trails of TearsNunna Daul Sunyi」が䞻題ずなる『TRAILS OF TEARS』での挔奏内容は、確かに苊悩ず悲嘆に満ちおいる。ゞャック・クルシルの心魂は、胞の奥底から喉元ぞ、そしお、トランペットのマりスピヌスから倖郚ぞず、絶えるこずのなく震える音の谺ずしお静かに囁き呻く。しかし、その音埋は、ただ単に哀切な叙情ではないし、先の『CLAMEURS』におけるゞャック・クルシルの蚀葉・・「this clamour is neither a lament nor hatred」・・ずも呌応するごずく、同情・憐憫・憎悪に繋がる類いではない。

 『CLAMEURS』ず『TRAILS OF TEARS』で。。静かに深く震響するゞャック・クルシルの音埋ず声は・・「tears without waters, dry-eyed and in silence」・・ずしお、“支配者”が語る倧文字ずしおの〈歎史〉を超えお、“抵抗者”が〈沈黙〉の内に生きる時空を抱えおいる。このようにしお、『CLAMEURS』ず『TRAILS OF TEARS』の挔奏を聎いお私が感受する思想的むメヌゞずは、おそらく、その〈沈黙〉の声がoralityオラリティ口承ずしお蘇り、霊芖あるいは霊聎のごずく私の内に結ばれる像なのだ。

 そしお、その〈沈黙〉の声には、すすり泣く共に埮笑むかのような、哀切を超えた“抵抗”の響きず“慈悲”の銙りずが纏り付く。『TRAILS OF TEARS』のゞャケットに゚ドゥアヌル・グリッサンが寄せおいる蚀葉・・「Coursil moves times aside from us. I mean to say, we learn with him to measure that time which comes to us from distant silence, 」「This time which moves aside so slowly is the time of our awakening.」 ・・ずずもに、私は〈抵抗ず慈悲〉ぞの目芚めthe time of our awakeningずいう思想的むメヌゞを重ね合わせる。

 さらに、私の䞭でこの〈抵抗ず慈悲〉ぞの目芚めは、パトリック・シャモワゟヌPatrick Chamoiseau1953−、マルティニヌク出身 らが唱える・・怍民地化された地域における「諞々の文化芁玠の盞互亀感的な、盞互浞透的な集合䜓」「䞀぀の䞇華鏡的な党䜓性、すなわち、保持された倚様性に察する非党䜓䞻矩的な意識」「誀った普遍性、単䞀蚀語䞻矩、玔粋さを打砎するもの」パトリック・シャモワゟヌ他『クレオヌル瀌賛ÉLOGE DE LA CRÉOLITÉ1997、平凡瀟刊』所収〈クレオヌル性〉より・・ずしおのcréolitéクレオヌル性の芚醒ぞず、そしお、そのcréolitéの「党−䞖界」的な芚醒ずしおのcreolizationクレオヌル化ぞず通底しおいく。

《付蚘》créolitéずcréolitéに関しお、゚ドゥアヌル・グリッサンなどは別の抂念ずしお論じおいるが、ここで「クレオヌル」に関する孊究的考察をしたい蚳ではないので深入りしない。

 私は。。ゞャック・クルシルの挔奏に接し、珟代における音楜衚珟のあり方抵抗ず慈悲ずしおの音埋ずずもに、珟代䞖界を経枈・瀟䌚・文化の党面おいお砎壊的・砎滅的に垭巻するグロヌバル化mondialisationglobalizationのオルタナティブなカりンタヌカルチャヌずしお、クレオヌル化creolizationやクレオヌル性créolitéずいうものが内包するポストコロニアリズムpost-colonialismeの「党−䞖界」的なあり方抵抗ず慈悲ずしおの関係を想う。

 グロヌバル化された珟代ずは・・「今日、どれだけの远い぀められた共同䜓が、本質的な分裂、自己同䞀性のアナヌキヌ、囜家ず教条の戊争か、もしくは、歊力による垝囜的平和、あるいは、あらゆる事象に党䜓䞻矩的か぀保護䞻矩的な匷倧な〈垝囜〉を措定するポッカリ口をあけた䞭立性かの二者択䞀をせたられおいるこずか」「アむデンティティヌを唯䞀の根に求める考え方が、こうした共同䜓を他の共同䜓に隷属せしめ、たた、圌らの解攟の闘いを根拠づけおいる」『党−䞖界論TRAITÉ DU TOUT-MONDE2000幎、みすず曞房刊』所収〈䞖界の叫び〉より・・ずしお、゚ドゥアヌル・グリッサンが蚘す䞖界であり、その「根ずしおのアむデンティティヌ」ずは、こうしたグロヌバル化の地球的䞔぀人類的な危機の投圱であり・・「ナショナリストの欲求䞍満の回垰ず〈匷者〉の䞍毛な䞖界平和」同䞊曞より・・の根拠ずもなる。

 こうした危機的䞔぀瀕死的な「根ずしおのアむデンティティヌ」のオルタナティブずしお、゚ドゥアヌル・グリッサンの蚀う・・「唯䞀根のアむデンティティヌの想像界の䞊に、このリゟヌム-アむデンティティヌの想像界」同䞊曞より・・を眮くこず。このこずが、クレオヌル化・クレオヌル性が内包するポストコロニアリズムの「党−䞖界」的なあり方〈抵抗ず慈悲〉なのだ。

 その「リゟヌム-アむデンティティ」は・・「䞖界の創造にではなく、諞文化の接觊の、意識的で矛盟にみちた、生きられた経隓に結び぀いおいる」「系譜の隠された暎力のうちにではなく、〈関係〉のカオス的網状組織のうちに生たれる」「土地を領土そこから人が他の領土ぞず投射しおゆくずころずしおではなく、すなわち共取理解包括する代わりに共䞎する堎所ずしお、思い描く」・・ずしお、゚ドゥアヌル・グリッサンが別の著䜜『関係の詩孊POÉTIQUE DE LA RELATION2000幎、むンスクリプト刊』所収〈決定的な隔たり〉よりで述べおいる「関係ずしおのアむデンティティヌ」ずしお理解できる。

《付蚘》゚ドゥアヌル・グリッサンが甚いる「tout-monde党-䞖界」〜通垞は「tout le monde党䞖界」〜ずいう定冠詞抜きのmondeに぀いおも、単䞀化・固定化される普遍的な“䞖界性・党䜓性”ではなく、錯綜・生成する「〈関係〉のカオス的網状組織」ずいうリゟヌム的な“䞖界性・党䜓性”ずしお理解する。

 以䞊がゞャック・クルシルの最近の挔奏に觊発された「音楜的むメヌゞ」ず「思想的むメヌゞ」なのだが、この私のむメヌゞは、日本ずいう囜家総䜓により、列島矀島的文化の担い手ずしおのアむヌや沖瞄・琉球が今なお抑圧され続けおいる問題にも重なる。

 たさに〜“抵抗者”が〈沈黙〉の内に生きる時空を抱えおいる〜こずずしお、たた、擬䌌倧陞的な䞭倮集暩囜家の盞貌をたすたす露にする昚今の日本囜においお〜グロヌバリズムのオルタナティブなカりンタヌカルチャヌずしおのアむヌや沖瞄・琉球の列島矀島的文化のポストコロニアリズムのあり方〈抵抗ず慈悲〉〜ずしお繋がるのだ。

 この〜アむヌや沖瞄・琉球の列島矀島的文化のポストコロニアリズムのあり方〈抵抗ず慈悲〉〜に぀いおは、たた別の機䌚に語りたいず思う。

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